[創商見聞] No.17 林 信利 (丸正醸造 社長)

地元で消費されるメーカーに

―1895(明治28)年創業の老舗醸造会社を引き継いだ
 男兄弟がいなかったので、子どものころから覚悟はありました。具体的に考え始めたのは大学進学時。先代から「その気があるなら醸造関係を専攻したら」と言われ、醸造科学科がある大学に進みました。東京で就職し、百貨店勤務を経て、28歳の時に当社に入りました。
 2、3年はあまり仕事に身が入らなかったのですが、33歳の時に転機が訪れました。1カ月にお得意さんが3軒も廃業したのです。ものすごくショックでした。商店の減少、スーパーの台頭、購買層の高齢化…。それまでは世襲のようなものだから―と楽観的に捉えていましたが、初めて自分の将来に危機感を覚えました。本当の意味で継承を覚悟した瞬間で、それ以来自分が経営者になったつもりで働きました。
 社長になったのは43歳の時ですが、事業承継に大切なのは覚悟と意識だと思うので、実際はずっと前からそのつもりでやってきました。
―新たな事業を手掛けた
 7年前からつゆ、たれ、ドレッシングなどの加工調味料の製造・販売を始めました。 
 昔は味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)などの基礎調味料から料理をすることが当たり前でしたが、今では生活スタイルも変わり、そばつゆやすき焼きのたれなど、既に加工してある製品をスーパーで買うのが主流になりつつあります。当社の基盤である味噌、醤油の品質をアピールしたくても、手にとってもらえなければ伝わりません。おいしいたれを作れば、味噌のおいしさも伝わると思い、利便性の高い加工調味料を作るようにしました。
 とはいえ、本業は味噌屋です。新しいことに手を出して家業をつぶしてしまっては元も子もありません。先代に対しても「家業を成長させてからじゃないと」という思いがあったので、まずは味噌と醤油の販路拡大に注力しました。目標は県内量販店の90%以上に置いてもらうこと。社員と一丸となって長野県じゅうを飛び込み営業し、お取り扱い店様を増やしました。その後、加工調味料の事業に取り掛かりました。
―商工会議所の支援は
 商談会にはずっと参加させてもらっています。特に「逆商談会」は、自社ブースでバイヤー(買い手)を待つ従来の形式ではなく、自分たちの方からバイヤーブースに行って売り込めるのがいいですね。さっそく東京・有楽町のアンテナショップと取引が決まり、商品を置いてもらっています。
 当社は、「郷土の食材・食文化にそぐわないものは作らない」と決めているので、たれやドレッシングには郷土色をたっぷり詰め込んでいます。例えば、五平餅のたれを生かし、ゴマやクルミを加えたドレッシングなどは「信州らしい」商品と評価を受けました。味噌醤油屋ならではの加工品作りが、県内外の企業様からのPB(プライベートブランド)商品開発依頼につながり、工場拡大も予定しているところです。
―今後の事業展開は
 お客さまに丸正ブランドのファンになってもらえるよう取り組んでいきたいと思っていますが、そのためにはまず知ってもらう機会を増やさなければなりません。
 例えば若い世代の皆さんは、味噌や醤油にあまり興味がないかもしれませんが、味噌ラーメンや醤油ラーメンは好きだと思います。あるラーメン店では、メニュー表に当社の味噌を使っていることを表示してくれてあり、そこから店舗を訪ねてくださった方もいます。これまでも県内の企業やお店とコラボレーション商品を作ってきましたが、今後もさまざまな方法で丸正醸造の味噌、醤油のおいしさを広めていきたいです。
 企業とコラボして商品開発する際は、必ず県内のお客さまを見据えています。うちは地元の皆さんに消費されてこそのメーカーです。時代の変化を読み取りながらも、郷土の食文化を守り伝え、丸正醸造の味噌、醤油のおいしさを守り伝えるために、引き続き取り組んでいきたいと思います。

【はやし・のぶとし】 株式会社丸正醸造代表取締役社長。松本市出身。49歳。大学卒業後、商社・百貨店勤務などを経て、28歳で丸正醸造に入る。30代前半より徐々に経営に携わり、平成24年から現職。自ら商品のレシピ開発などを行い、22年から加工調味料の製造・販売を始める。23年、自社の商品が全国醤油品評会で最高賞の農林水産大臣賞を受賞。