視覚、聴覚、触覚などの感じ方は、人によってさまざまです。特に発達障がいの方は、感覚が敏感すぎる、あるいは鈍感すぎるといった「感覚の偏り」があることが少なくありません。
例えば、聴覚が敏感なためザワザワした教室に入るのが苦痛だったり、触覚が敏感すぎてごわごわした服が着られなかったり、味覚が敏感すぎて偏食が強かったりすることがあります。また、視覚の過敏があって蛍光灯の下にいると頭が痛くなる、痛覚が鈍感すぎて骨折したことに気づかないといったさまざまなケースがあります。
でも、感覚の感じ方は他人と客観的に比べることができないので、感覚の偏りがあるということ自体が、他人から見ても、本人にとっても分かりづらいのです。大人になって指摘されるまで本人も聴覚の過敏があることに気付かず、「こんなにうるさいのに、みんな嫌な顔ひとつせず我慢しているんだから、自分だって我慢しなくては」と、どんなに騒々しいと思っていても、ひたすら耐えていたというような人もいます。
そして我慢がたたってついにはストレス性の二次障害が起きてくることもあるのです。
また、感覚の感じ方は体調や気分とも連動し、疲れや不安、ストレスが伴うとより過敏になる、逆に興味のあること、好きなことなら気になりにくい、ということがあります。このため、わがまま、苦手なことを回避するための言い訳に過ぎない、などとみなされてしまうこともあります。
感覚の偏りは、その人の社会生活適応に大きく影響を及ぼすことがあります。「我慢すればそのうち慣れる」というような単純なものではありません。感覚の感じ方は、人によって全く違うのだということを前提に、本人の感じ方を尊重し、配慮することが、多様性を認め合う成熟した社会として必要な要件だと思います。
【なないろキッズ】 #6 感じ方は人によって違う
- 2018/08/21
- 小児科医・新美妙美のなないろキッズ