佐藤大史・アラスカ撮影紀行 (中)

米アラスカに滞在したこの夏のある日、池のそばにテントを張っていた。ムースが池の水草を食べに来たり、あわよくば子どもに泳ぎを教えたりするシーンに出くわすかもしれない。親子の慈しみあふれる光景をぜひ皆に届けたいと、3日だけと決め、待っていた。
3日目の午後10時ごろ、背後のやぶの中から不意に音がした。大きい生き物だと思い熊スプレーを構えたが、熊よりもっと大きな気配。よく目を凝らすとムースの影が見えた。そばには子どももいそうだ。臭いや気配をたどり、私が何者であるか様子をうかがいに来たのだろうが、まだ向こうは気づいていない。やぶの隙間からシャッターを切った。
今回はアラスカの大自然の中で出合う大小さまざまな動物の姿を紹介する。

適切な距離 慎重に見極めて

「この国立公園は四国くらい。こっちは九州くらい」という説明が自然と出てしまうほど、アラスカの大地は大きい。その中を自分の足で歩き、原始性の高い風景や生き物たちに出合うには、規模に見合った時間と予算、体力や根気も必要だ。それと、さまざまな情報と、情報のフィルタリングも大切になってくる。遠征の前や、アラスカで街に滞在中に調べておくことで救われたことも多いが、現場に出たら何より、より広く見渡せるルートを選択しながら、直接目で見た情報を判断しながら歩く。これが大事で、怠るほどリスクが増える。
1面のムースの親子と出合った際、500キロを超す巨体の接近に、数メートルに迫るまで全く気付けなかった。大型の生物もその大きさに反して音もなく歩けることは体験的に知っていたが、それにしても、予想外の驚きがあった。ムースは大人になると、その大きさ故そうそう外敵には襲われないので、悠然と構えていることが多い。とはいっても、生まれたばかりの子どもを連れて視界の悪い森の中を歩くことにメリットはないはずだ、私はそう思い込んでいたのだ。シャッターを切った数秒後、私に気付いた母ムースは「ブオッ」と大きく鼻を鳴らし、地面を2度強くたたき、子を先導するように森の奥へと走り去っていった。沈黙が訪れ、私の強い鼓動の音だけが聞こえていたのを覚えている。
彼らも人間と一緒で、より上質な情報を得ようとする。原野で生き抜くためには必須のスキルなのだ。このケースも、私という未知の存在を察知し、その情報を見極めようとした。また、多くの動物たちが個体によってパーソナルスペースが異なる点もわれわれと一緒だ。数十メートルかもしれないし、数十センチかもしれない。日によっても違う。その距離を見誤れば、私は彼らに逃げられるだけでなく、排除の対象にすらなりうる。大小さまざまな生き物に共通の感覚と、決して超えられない違い。そのどちらも常に意識して初めて、適切な距離が保てる。
動植物も人も、自然の一部。幼い頃からそう考えていたが、原野に通うようになってそれは確信に変わった。どこにいる生き物も、どこに暮らす人も、ただ自分にできることをできる限りこなしているだけなのだ。判断ミス一つで命を落としてしまう野生の世界に生きる生物たち。彼らもただ、全力で安心する方へと歩み続けているだけなのだろう。私は、その姿に「生きる」ことの神髄を見る気がするのだ。
(佐藤大史・写真家・安曇野市在住)

投稿者: mgpress