木工職人として独立を決意 木工の道志し10年 工場が自分の「城」

鉄の扉を開けると、年季の入った機械が雑然と置かれ、ほこりや木くずにまみれた木材などが散らかっている。松本市城西1にある、半世紀以上続いたという額縁や置物などの木工製品を製造した工場。数年前から稼働が停止していた。
冷暖房やトイレもないが「自分にとっては恵まれすぎた環境。雨漏りはするが、雨風がしのげる」と得意げに話すのは、塩尻市広丘吉田の木工職人、村田亮さん(35)だ。
今年2月、職人として独立を決意し、先月から、この工場で活動を始めた。「木工の道が厳しいのは分かっているが、とにかく工場にいるのが好き。『街の木工屋』として当たり前の仕事をしていきたい」。木工の道を志して丸10年。木と向き合う覚悟を新たにした。

木と向き合う覚悟新たに
村田亮さん 木工職人

古い工場を片付け作業

この工場を知ったのは、独立を決意し、それまで勤めていた松本市内の家具製造などの会社を退社した時だ。知り合いが「こんな工場があるけど」と紹介。しかし、その時は当面のアルバイトが決まっていたため、「あまり気にも留めなかった」という。
7月になって「いよいよ自分でやらなければ」と焦り始めた時に、工場の話を思い出し見学。建物内は額縁や木の土産品、木材などが足の踏み場もないほど散乱。機械もさび付いていたが、村田さんが作業をする上で「三種の神器」という、のこぎりの役割をする横切り盤、かんな盤、ドリルがそろっており「十分」と感じた。
ただ、機械が動くかは分からない。すぐにでも電源を入れて確かめたかったが、周りは木材だらけで通電火災の心配もあったため、1週間ほどかけ点検。ブレーカーをオンにした。機械は正常に動き「本当にうれしかった」と笑顔を見せる。
大家さんの好意で、場内の片付けを条件に、1年間は家賃なしで借りることができる。木工職人として独立する場合、一般的に約300万円の初期投資が必要といい、村田さんは「それがないだけでもありがたいのに、月々の経費も200ボルトの電気代だけ」と感謝する。
自身で創作して家具をつくるまでにはまだ時間がかかるが、古い家具の修理やある程度形の決まった小物などの注文が来ており、「今は地道にどんな仕事でもします」と前を向いている。

田川高校卒業後、専門学校を経て、静岡県の自動車部品の製造会社に就職し、設計を担当した。しかし元々、自分で棚をつくるなど木工が大好きだった村田さん。分野は違ったが、その会社の工場で「物づくり」に直接携わっている社員を見て「やっぱり格好いい」と思い退社。24歳の時に上松町の県上松技術専門校に入学し、木工の道を志した。

親友への思い

独立するにあたり、村田さんには、心に引っかかることがある。
上松技専卒業後、三重県の木工所に就職。2011年の東日本大震災を機に、地元の塩尻市に戻り、大工として独り立ちしていた高校時代の同級生の下で働くことになった。社会人になってからも頻繁に連絡を取り合う親友で、「高校時代はちゃらちゃらしていたのに、大工になったとたんに大人になった」と、いつしかまぶしい存在になっていた。
2人で働くことに喜びを感じていた村田さんだが、2年ほどたち「建築と木工は違う」と思い始めた。「やっぱり木工をやらせてほしい」。村田さんは彼に向かって土下座して頼んだ。「もう明日から来なくていい。俺の気持ちも考えてみろ」と怒鳴られた。それ以来「けんか別れの状態」という。
村田さんは当初、同級生の「俺の気持ち」を「大工としてここまでしてやったのに、裏切るのか」という意味に捉えていたが、時がたつにつれ、親友である村田さんに土下座をさせてしまった「俺の気持ち」と考えるようになり、「もっと素直に思いを伝えていたら、快く送り出してくれたのかも」と後悔している。
独立の報告が、仲を取り戻すいい機会になるか…。村田さんは「まだ吹っ切れなくて」と苦笑い。それでも「もし、自分のつくった家具を、親友の建てた家に納めることができたら、これ以上ない喜びです」。

(浜秋彦)

投稿者: mgpress