ジャクソン国際バレエ銀賞 清沢飛雄馬さんインタビュー

プロダンサーの道切り開く

6月に米国で開かれた世界三大バレエコンクールの一つといわれる「第11回ジャクソン国際バレエコンクール」の男子ジュニア部門で出場選手中、最高位の銀賞を獲得した松本市波田出身の清沢飛雄馬さん(17)。快挙から約3カ月がたち、現在は、久しぶりに帰省した実家で英気を養っている。
6歳からバレエを始め、小学3年生の9歳の時に、単身ウクライナにバレエ留学。その1年半後には米国に拠点を移し、鍛錬を続けてきた。来年7月からは米国のバレエ団でプロダンサーとして第一歩を踏み出すことになっている。第23回信毎選賞受賞も決まった。
バレエ先進国の厳しい環境の中で、これまで経験したことやプロになる意気込みなどを父英彦さん(45)、母恵美子さん(44)の話を交えながら聞いた。

自分も観客も楽しめる踊りを

-銀賞を獲得した心境は
賞が取れたのはうれしかったが、金賞じゃなかったのは悔しい。金賞を取ると、表彰式で国歌を生演奏してくれる。それを聞くことができなかった。
-賞を取る自信はあったか
(現在の師匠)ニコライ・カバニアエフ先生は自分の実力を出せば賞を取れると言ってくれたが、自信はなかった。結果を考えることが怖くて、自分ができることを出し切ろうと思っていた。
-バレエを始めたきっかけは
父がウエイトリフティングの選手だったので、自分にも同じ競技をやらせたかったようだ。柔軟性のある体はどんなスポーツをやるにしても有利ということで最初にバレエを始めた。タイツをはくことなどに違和感があったが、体を自由に、きれいに動かすことがすごく楽しかった。
 英彦さんの話 自分の師匠からバレエで鍛えられる筋肉はウエイトリフティングに効果があるから子どもにやらせろと言われていた。小学3年くらいまで続ければいいなと思っていた。
-コンクールの副賞として小学3年生で、ウクライナのキエフバレエ学校に留学した
自分がバレエを続けるために背中を押してくれたので、それに応えようと思った。両親と離れるのは不安というより寂しかった。ウクライナのバレエ学校は、基礎がすごいというのは有名で、自分もそこで基礎をしっかり磨こうと思った。ロシア語はまったくしゃべれなかった。
 恵美子さんの話 最初の3カ月は私も一緒に暮らした。「ありがとう」と「トイレはどこですか」だけ話せればどうにかなると言われていたが、飛雄馬は3カ月でタクシーの運転手と会話できるようになっていた。
-ウクライナでの思い出は
寮生活では、けんかがすごかった。「アジア人のくせに」「何もしゃべれないだろ」などと馬鹿にされて殴り合いになった。相手が少し年上だったのでいつも僕が負けていた。
ただ、バレエのレッスンは別。上達しないと退学させられる競争社会。けんかで負けてもバレエで勝てばいいと思っていた。そういう競い合いは大好き。
 英彦さんの話 ウクライナは日本の教育と違って、できる子に良くしてより伸ばすという考えだ。できない子は悪い扱いを受ける。飛雄馬はウクライナの教育に合っていた。
-11歳の時に米国のバレエスクールに拠点を移した
最初はウクライナの方が米国より本場という気持ちがあり、1年で戻る気持ちでいた。しかし、米国は環境がいい。食べ物がおいしい。寮がきれいで2人部屋。米国にスカウトしてくれたカバニアエフ先生のクラスもすごくレベルが高く、次のステップかなと思った。
-来年7月からシカゴのジョフリーバレエ団でプロとして活動する予定だが
プロになることが目標だったので、今から楽しみでしょうがない。バレエと真正面から向き合う気持ちは変えないが、今まではバレエにお金を掛けたが、これからはバレエでお金がもらえる。180度違う。
見てくれる人たちを楽しませることができるダンサーになりたい。誰よりも楽しんで踊るのが自分の最大の長所だ。

【プロフィル】
きよさわ・ひゅうま 2001年、独ウエストファーレン州ゾースト生まれ。07年、6歳の時に松本市の青木千枝子バレエ研究所でバレエを始める。安曇野市のMOMOKOバレエスタジオ(百瀬桃子さん主宰)で習っていた10年、全国バレエコンクールinNAGOYA男子ジュニアA部門で2位になり、副賞として11年3月からウクライナのキエフバレエ学校に留学。12年9月、米ワシントンDCのキーロフバレエアカデミーに転校。15年9月、同サンフランシスコのシティバレエスクールオブサンフランシスコに移る。

【ジャクソン国際バレエコンクール】 米国ミシシッピ州ジャクソンで4年に1度開かれる国際バレエコンクール。正式名称は「USA国際バレエコンペティション」。ブルガリアのバルナ国際バレエコンクール、ロシアのモスクワ国際バレエコンクールと並び、三大国際バレエコンクールの一つとされる。
(浜秋彦)

投稿者: mgpress