フジゲンの礎築いた米国人のひ孫来日 創業者たちと対面

世界的なギター産業の街として知られる松本。その一翼を担う、フジゲン(旧富士弦楽器製造、松本市平田東)を創業間もないころに訪れ、技術指導したのが米国人のアンソニー・ジョージさん(故人)だ。1961(昭和36)年に来日し、後に「メイド・イン・ジャパン」のエレキギターを全米で爆発的なヒットに導いた。
そのジョージさんのひ孫、マイケル・スペンスさん(27)が19日、同社の創業者の一人、横内祐一郎さん(91、現フジゲン相談役)らと対面した。松本市惣社の会社員、伊藤正さん(54)が作る松本のギターの歴史などをまとめたウェブサイトで、スペンスさんが曽祖父の姿を見つけ、それをきっかけに、両者が結びついた。半世紀以上の時を経て、「恩人」の子孫と出会う場面が生まれた。

半世紀以上の時を経て出会う
「松本のギターの父」のひ孫フジゲンを訪問

日本製の商品安価で米国へ

米国人の故アンソニー・ジョージさんは、今も「松本のギターの父」としてたたえられる人物だ。米ニューヨークを拠点にギターのバイヤーをしていた1961(昭和36)年、日本でギターを製造し、安い商品を米国に輸入することを目的に来日した。宿泊していた東京のホテルでギター製造会社の紹介を依頼したところ、当時、20~30社あったという会社の中から、ホテルマンが連絡を取った先は、偶然にも60年に創業していた富士弦楽器製造だった。
同社は、バイオリンからギター製造への転換を模索している時期だった。ジョージさんはすぐに同社を訪れ、約3カ月間、クラシックギターの製造技術を指導し、同社も製造に取り組んだ。
62年、英国でビートルズがデビュー。世界的にエレキギターブームが巻き起こった。ジョージさんは再度、同社を訪れ、今度はエレキギターの製造を指導している。
米国で販売されていたギブソンやフェンダー製のギターが1本100~150ドルしていた時代に、日本で作られたギターは1本25ドル。ビートルズなどに憧れた米国の若者らから熱烈な支持を得て、64年ごろには、ジョージさんは1回に1万本を注文するなど富士弦楽器製造の発展につなげた。
横内祐一郎さんはジョージさんについて「とても穏やかな人だった」と振り返る。長男の照治さん(64)は「日本製のギターを独り占めしようと思えばできたのに、ジョージさんはそうはせず、仲間に紹介するような人だった。松本にいる間は、『アメリカ人には栄養が必要』と、無理をして毎日のようにジョージさんを(フレンチレストランの)鯛萬に連れていったようだ」と明かす。

曽祖父の写真サイトで発見

ジョージさんについて、ひ孫のマイケル・スペンスさんは「ミュージシャンだった祖父と一緒にギター関連の会社を経営していたことくらいしか知らなかった」という。スペンスさんはカナダ・バンクーバー在住で、コーヒーメーカーなどのメンテナンス会社のエンジニア。子どもの頃からギターが好きで昨年、自身の工房を立ち上げた。
「マツモト」とつながったのは今年5月。松本のギターの歴史や魅力などを「ガラクタギター博物館」というウェブサイトで発信している伊藤正さんが、インスタグラム(写真投稿サイト)に投稿した写真がきっかけ。それは、富士弦楽器製造の創業当時からの社員だった山崎智久さん(83)がニューヨーク州のジョージさんの店を訪れ、ジョージさんと2人で写っている66年の写真だった。
これを見つけ、顔と名前から曽祖父と確信したスペンスさんは、伊藤さんと連絡を取り合うようになり、ジョージさんの日本での功績などを勉強。「足跡を実際に感じたい」と、訪日して横内さんらと対面することなどを伊藤さんに要望した。
スペンスさんは19日、小谷村に実家のあるパートナーの渡辺ほなみさん(42)と一緒に松本市筑摩の横内さん宅を訪れた。緊張の面持ちで、祐一郎さんと照治さん、現フジゲン会長の次男文明さん(62)、山崎さん、伊藤さんらと初めて対面。ジョージさんの思い出話に花を咲かせ、自身が手作りしたギターを横内さんにプレゼントした。
フジゲン大町工場も見学し、ジョージさんが発注したギターと同じモデルのギターに触れるなど、曽祖父の足跡を実感した。
スペンスさんは「多くの知らなかったことを教えてもらい心が満たされた。ひいおじいちゃんが世界のギターに貢献したことが分かり誇りに思う」と笑顔を見せた。

(浜秋彦)

投稿者: mgpress