ラジオ修理に励む久保田さん山形で展示 100年分の歴史後世へ

ここはラジオ博物館?それともラジオの修理工場?そう言いたくなるような驚きの家が、松本市村井町南にある。ラジオたちの主は久保田長利さん(62)。
更に驚くのは、所狭しと並ぶ約400台のラジオは、「鳴らなきゃ価値がない」という久保田さんの手によって修理され、ほとんどがちゃんと動き、音が鳴る状態だ。その一部を27日から山形村図書館で展示している。11月3、4日には鉱石ラジオを聞く体験会も開く。
世界でラジオ放送が始まって100年余り。その間さまざまなラジオが生まれており、「100年分のラジオの歴史を残したい」と収集と修理に励む久保田さん。そこまでのめり込むきっかけは、本人の「うつ」だった。ラジオを直しながら、自分を治していたという。

修理通じ自分自身も回復

ラジオ修理を続ける 久保田長利さん 松本市

うつと診断 療養を機に

久保田長利さんは、松本市内の工場でブラウン管テレビの部品製造を30年間続けてきた。しかし、地上デジタル放送への切り替えに向けて職場が閉鎖に。2005年ころ、未経験の購買部門に配属が変わった。慣れない仕事や過労などから07年の年明けには出社できなくなり、うつと診断されて4カ月間自宅療養した。主治医から「仕事と犯罪以外はやりたいことをやって良い」と言われ、所在なく過ごす日々。中学生のころ、放置されていた真空管ラジオをいつの日か修理しようと、実家の物置に保管していたことを不意に思い出した。
「時間はたくさんある」とインターネットで情報を仕入れ、古い部品も入手。製造現場で働いた経験も生き、意外とすんなり修復できたラジオからは、何十年ぶりかに力強い音が流れた。「故障し、捨てられていたボロラジオがよみがえり、命と輝きを取り戻した。赤々と輝く真空管がまるで生きているかのように見えた」と達成感と満足感を感じた久保田さん。これを機に、インターネットを通じて手当たり次第に古いラジオを購入しては、修理を始めた。
手に入れたラジオは、まずは薬品で消毒して分解。古くなったり入手できない部品は「自分で作る」。型を取ってつまみやダイヤルを作ったり、ラジオの部品を覆う箱も、資料を見ながら板や布を駆使して作り上げる。
何台か修理するうち、ラジオにはさまざまな種類があり、部品や配線方法が違うことが分かってきた。時代によって電気回路が工夫されて性能が向上するほか、外観も変化。「ラジオの発展の歴史を理解しなければ、修理できない」と勉強を始め、原点は「鉱石ラジオ」だと知る。
電池を使わず、電波をアンテナで捕まえて音に変え、イヤホンで聞く鉱石ラジオ。興味が湧いたが、高価で入手が困難だった。「ならば、自分で作ってみよう」と資料を探して部品を調達し、オリジナルの鉱石ラジオを作成。イヤホンから地元の放送がはっきり聞こえたという。

職場復帰後は、半日勤務や職場変更などを経て、通常勤務ができるようになったが、3年前、狭心症などを機に早期退職。その間も「ラジオ修理は病気が故に始まった、自分の相棒のようなもの」と、古いラジオを入手しては修理を続けてきた。「できる限り当時の形態を保って、後世に残しても恥ずかしくないような復元を心がける」という久保田さん。「ラジオを直すという行為を通じ、実は自分自身を治していた。病気で失ったものもあるが、得られたものを大切にしたい」と思うようになったという。
「100年の歴史を持つラジオ。あと100年は残したいが自分の寿命の方が短く、安住の地を探している。自治体や団体などがラジオたちを守り、子どもたちの教育や町おこしへ活用してもらえればうれしい」とあちこちに保存を呼びかけている。
久保田さんの思いを受けて、山形村図書館では11月4日まで、久保田さんお手製の鉱石ラジオなどを展示する「懐かしの音風景鉱石ラジオ展」を開いている。3日午後1~3時と4日午前10時~正午の村文化祭に合わせ、実際に鉱石ラジオを聞く体験を行う。同図書館電話98・3155

(上條香代)

投稿者: mgpress