ヨガと共に 指導歴30年以上 太田弓子さん

「私がヨガを始めたころは、畳の部屋でバスタオルを敷いてその上でやっていた。今のようにヨガマットもなければ、服装もスタイリッシュじゃない。若い人が飛び付くものじゃなかった」
松本市大手2のヨガ講師、太田弓子さん(61)はそう振り返る。太田さんは、松本平ではまだヨガ教室が珍しかったという37年前、24歳の時から始め、30歳からは指導者の道に。人生の半分以上をヨガと共に歩んでいる。
最初は「趣味程度」で始めたが、子育て真っただ中だった時の夫の病死で、「生きていくための手段」にせざるを得ない状況に追い込まれた。
それでも太田さんにとってヨガは「心の支え」。還暦を過ぎた今では「80歳まで習ってくれた生徒がいた。指導者としてそこを目指したい」とやる気に満ちている。

松本市内で教室 本格派の指導を

松本市内のスタジオで開いている太田弓子さんのヨガ教室には、毎回30、40代の女性を中心に十数人が参加する。太田さんは、年齢を感じさせないスリムな体で、見本のポーズを見せながら、体のどこに力を入れるかや、手足の角度などを声に出してアドバイス。生徒がそれに従ってポーズを決めると、一人一人の近くに行き、実際に体を触って形を矯正した。
この間、1分弱。ハードには見えないが、一つのポーズを決め終えると生徒たちは「はぁ、はぁ」と肩で息をして、タオルで汗をぬぐった。一方、太田さんはまったく息も乱れず涼しい顔だ。「ヨガは呼吸が大切。きついポーズを取ると、どうしても力んでしまい、おろそかになってしまう」と太田さん。「ヨガをやって『気持ち良かった』で終わるなら難しいポーズは教えないが、ここに来る人たちは、体形など『自分を変えたい』と思っている。当然、厳しくなります」と説明する。

30歳で最高資格 指導者の道歩む

太田さんがヨガと出合ったのは24歳のころ。学生時代に部活でやっていたバスケットボールで肩をけがして以来、肩の脱臼癖が治らず、「リハビリを兼ねた運動はないか」と探していた。当時はまだ、スポーツジムなどが一般的でなかった時代。何げなく飛び込んだのが松本市内のヨガ教室だった。
「周りの生徒は40、50代ばかりだった」が、体を鍛えると同時に精神面も整えるヨガは、「体全体のメンテナンスに最適だった」とのめり込んだ。後に「師匠」となるその教室の主宰者、腰原栄子さんは、唯一の若手だった太田さんに級や段の資格を取ることを勧めた。
教室が所属するヨガ団体は資格に厳しく、資格取得試験を受けるにも師匠の「お墨付き」が必要。太田さんは、2年間習ってようやくスタートラインとなる9級の受験を認められた。以後、徐々に昇級し、30歳の時に最高位の3段を取得、腰原さんから松本市内の1つの教室を任せられることになり、指導者の道を歩むことになった。
太田さんは「私は6年間かけて講師になったが、今は比較的短時間で教える立場になれる。それはどうなのかな」と疑問を呈し、「本格派のヨガを伝えていきたい」と話す。

子育てと夫の死 救ったのはヨガ

2人の息子を育てながらヨガ講師として歩んでいた太田さんに転機が訪れたのは40代半ば。がんを患っていた夫吉夫さんが、7年間の闘病生活の末、亡くなったのだ。長男は中学3年、次男は小学3年だった。精神的支柱を失った上、当時、太田さんのヨガ講師としての収入は、息子たちの学習塾の費用を賄う程度で、経済的には吉夫さんに頼りきりだった。「育ち盛りの息子と生きていくためには、ヨガを諦め、他の仕事を探さなければならないと思った」と振り返る。
厳しい現実から太田さんを救ったのもヨガ。ヨガに打ち込むことで「もうちょっと頑張ってみよう」という前向きな考えが生まれ、同時に息子の学校のPTAなどから教室開催の依頼が舞い込むなど好転換。その後は口コミで評判が広まっていき、生活の軸となった。

2人の息子から 「うれしい言葉」

太田さんは「子育てが生きていくエネルギーでヨガは心の支え。このどちらかが欠けても今はない」としみじみ語る。
現在は70人以上の生徒を抱え、週6日教室を開いている。長男は社会人となり、次男は大学院生。吉夫さんと交わした「子どもを大学まで出す」という約束は果たし、次男が学業を終えるまであと数年は頑張る、という。
最近になり、2人の息子からこんなことを言われたという。「かあちゃんは楽しそうに仕事をしているね」。「何よりうれしい言葉だった」と太田さんは笑顔を見せた。
(浜秋彦)

投稿者: mgpress