松本の化粧品専門店 田立屋が創業170周年

時代先取りメーク指導に力

松本市の中心部、大名町通りにある化粧品専門店「田立屋」は今年で創業170周年。今ある国内の化粧品専門店の中で、最も歴史があるといわれる。
商業の中心地が目まぐるしく移り変わり、ドラッグストアやネット通販など販売経路も多様化。「街の化粧品店」が次々と姿を消す中、江戸時代から受け継ぐのれんを守る。
時代の一歩先を行く価値観を示し、商品を店員が店の奥から出してくる「座売り式」販売が一般的だった大正~昭和初期、松本でいち早く店頭にウインドーを設けたり、商品を店内に並べて売ったりした。
最近は、メーキャップ指導などに力を入れる。大宮康彦社長(71)は「満足のいくメークを、お客さまが自分でできるようにして差し上げるのが使命」と話す。

「寄り添う心」受け継いで
商都・松本の歴史とともに

田立屋の創業は江戸時代末の嘉永元(1848)年。今年8月、大宮康彦社長の長男で総務企画担当の康亘さん(30)を中心に、店の歴史を整理し始めた。
明治時代の帳簿や座売りで使っていた商品ケース、大正時代の化粧品などは大切に保管したり、店内に飾ったりしていたが、アルバムに残る明治以降の膨大な写真の整理は未着手。康亘さんらは今回、そこに手を付けた。
店構えや街並みの変遷、笑顔で接客する店員の姿などの写真。康亘さんは「創業以来受け継いできたのは、お客さまに寄り添う心。これを大切にしてきたからこその170年と感じた」と言う。
「戦中戦後の物不足の折、先代社長は一斗缶を担いで東京へ行ってクリームを詰めてきたり、お金の代わりに野菜を持ってきた女性にクリームを渡したりした」と大宮社長。店の歩みは、商都松本の歴史とも重なる。

同店は林業を営む家に生まれた大宮徳重が、田立村(現南木曽町田立)から松本に出て博労町(本庄)に構えた小間物商が始まり。日用雑貨と共にかんざし、おしろい、紅なども扱った。
明治4(1871)年の廃藩置県で、大手南門通り(現在の大名町)の武家屋敷が庶民に開放されると、いち早く出店。明治中期に近代的な化粧品が広く使われるようになると、自社製の化粧水「京の水」をヒット(明治35年)させた。
大正12(1923)年、資生堂が小売店と協力する「チェインストア制度」を導入すると、県内最初の契約店に。戦後に創業したコーセーの商品もいち早く扱った。
高度経済成長期の昭和40(1965)年には本町に支店を出し、大名町の本店も同48年、現在の6階建てビルに。海外高級ブランドも扱い、クリスチャン・ディオールのファッションショーを開くなど、おしゃれの最先端を紹介した。
昭和50年代には松本駅前のビルに出店するなどしたが、郊外型の店が増えて市街地から客足が遠のくと、すべての支店をたたんで本店に集約。平成の中頃から化粧品に特化した。

独自のカルテ来店客に全力

業界は訪問販売や通信販売の参入、ドラッグストアなどで売られる低価格品の台頭、定価販売を支えた再販売価格維持制度の撤廃(平成9年)など激変を続ける。その中で同店はインターネット販売などに手を出さず、カウンセリングやメーキャップのサービス、レッスン、フェイシャルエステなど、来店客の対応に全力を傾けて生き残りを図る。
「メークに強い店」として存在感を高める中、その中心を担うのが大宮社長の長女でメークアップアーティストの小依さん(40)。資生堂メークチームの一員として、世界的なファッションショー「ニューヨークコレクション」に何度も参加した実力者だ。
今春から、客に独自のメークシートを手渡し始めた。レッスンで使った色やアイテム、メークの手順やポイントなどが分かる“カルテ”。客が自宅で同じメークができるようにした。
「メークには気持ちを変える力がある。メークすることを楽しいと思ってもらいたい」と小依さん。
メーク指導は100分9500円。田立屋電話32・0057

(松尾尚久)

投稿者: mgpress