[創商見聞] No.12 大野善裕 (ワーナックス社長)

自分たちにしかできない仕事を

―創業から現在までの経緯は

 11年間のケーブルテレビ局勤務を経て、35歳で独立。物置場になっていた今の事務所を自分たちで改装するなど、まさにゼロからのスタートでした。まずは商工会議所に行って創業の相談に乗ってもらい、経営計画書を作ったり、家賃補助の申請をしたり。当時はお金もなかったので、家賃補助の制度はとても助かりました。行って分かりましたが、いろいろな補助制度があるので、使わない手はないと思います。

すでに家庭を持っていたこともあり、1年目はとにかく定期収入を得たいと、会社員時代からのつながりで、「松本映画祭プロジェクト」という社団法人の立ち上げに参加しました。しかし、ふたを開けたら全く資金がなくて(笑)。3カ月後には映画祭が迫っていたので、自分たちで一から営業しました。本業の映像の仕事も運転資金もない状況で不安はありましたが、それ以上に、独立して自分の足で一歩ずつ歩んでいるという喜びが勝り、苦労と感じたことはありませんでした。

山雅の仕事を担当するようになったのは2年目から。ちょうど山雅がJ2に上がり、「アルウィンで流す映像はどこが担当するのだろう」と知人と話していました。以前、映画祭のトークショーに出演してもらった山雅の関係者にすぐ連絡し、これまでの自社の実績やどれだけこの仕事を手掛けたいかという熱い思いをメールにしたためて送りました。仕事に対して熱意は大切です。熱意がなければ相手には伝わりません。その後、現在まで担当させてもらっていますが、あの瞬間に行動していなかったら今の会社はないと思っています。

現在では番組やCM、スポーツ・文化芸術関連の映像事業、映画祭やファッションに関するイベント事業、そしてICT(情報通信技術)事業と、仕事の幅が広がりました。

―多角的な事業展開のきっかけは

 すべては人との出会いから生まれています。山雅とも、元をたどれば映画祭でのつながりがあったからだと思います。出会いを大切にし、きちんとお客さまと向き合うこと。創業してからは常にこれを一つの指標としています。独立の準備期でバタバタしている私に対し「一つ一つの仕事に対して腰を据えてやりなさい」と言った母の一言が効いているのかもしれません。

忘れてはいけないのが、「今、この人と仕事ができているのは誰のおかげか」ということ。一つの仕事から次の仕事につながることが多いので、目の前のお客さまだけでなく、誰のおかげでその人と仕事できるようになったのか、さかのぼって感謝するようにしています。

―会社としてのターニングポイントは

創業から2年後、初めて従業員を雇いました。会社は、1人から2人になっただけでも、「組織」になるんですね。いい仕事をしてもらうには、どのくらい仕事を頼むか、どうやってお願いするか。伝え方一つでも全然違って、「この言い方では響かないんだな」など、いろいろと悩みました。社長として部下に接するのと、会社員時代に後輩に接するのとでは全く別物です。社員教育は終わりも正解もないので、今後も課題です。

 3年前には株式会社化し、私を含め6人の体制となりました。今年からは毎月企画会議を行い、会社として次の10年、20年を見据えた話し合いを行っています。また、「インプットツアー」と題し、社員が自ら企画して視察や研修に行くことで、アイデアの引き出しを増やす試みを行なっています。魅力的な会社にするにはどうすればいいか、試行錯誤の日々が続いています。

―今後の展望は

 映画祭は原点なので、今後も取り組んでいきたいと思います。先日、福島県郡山市で初めての出張商店街映画祭を開催しました。今年の映画祭で郡山市の商店街の若手たちが作った作品が入賞したのが縁です。彼らは震災を乗り越えてその映画を作ったので、入賞したことをとても喜んでくれました。映画祭を続けて良かったと実感した瞬間でした。

来年は映画祭が10周年を迎えるので、こうした経験などを踏まえ、新しい方向性も考えています。

また会社としては、来年、新規事業を展開します。これまでの経験を生かし、スポーツ関連のサイトを立ち上げる予定です。これは初めての自社企画です。会社の将来を考えた時、自分たちにしかできないモデルづくりが必要だと感じています。

受注生産がファーストステップだとしたら、自分たちのアイデアとスキルで、自分たちから発信する今がネクストステップの時です。どこまで皆さんに受け入れてもらえるのか分かりませんが、創業した頃のハングリー精神を呼び起こしながら、準備を進めているところです。

「人の心を豊かにする商品やサービスを提供する」という企業理念のもと、挑戦し続けていきたいです。

【おおの・よしひろ】 ワーナックス株式会社代表取締役社長 諏訪市出身 41歳 大学を卒業後、帰郷し、平成11年に松本市のケーブルテレビ局に入社。加入営業、広告営業、番組制作などを担当した。平成22年に退社し、翌年、個人事業主として創業。映像プロダクション事業、イベント事業、ICT事業と、多角的に手掛けている。