2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

[創商見聞] No.34 倉科 喜美子 (加工組合さくら 代表)

先輩の「加工」への思い引き継ぐ

―組合結成までの経緯は
1993年、当時の梓川村(現松本市)に農産物処理加工施設「味来せんたあ」がオープン。地元の農家の女性や主婦たちが集まり、地元で取れた米や大豆などを使ってパンやみそといった、安心で安全な加工品を作り始めたのが始まりです。同時に加工指導者の会「ブース味来」が発足し、新たに開発したものの商品化、販売が始まりました。99年には、ブース味来のメンバーを中心に梓川村農産物加工品開発研究会が設立されました。
私は、96年に夫の実家がある梓川にUターンして、念願だったパン教室を開いていました。ある日、研究会のおばちゃんたちに「米粉パンを作るから見においで」と誘われたのが、この会に関わるきっかけです。教室の生徒さんたちも引き込んで、一緒に活動するようになりました。
村が松本市と合併した2005年には、それまでの施設が手狭だったこともあり、市の加工施設として「あずさ夢工房」が開所。菓子・パン、漬物、総菜、瓶詰め、清涼飲料水の5部門で製造許可を取得しました。同年3月には研究会を発展的に解消し、「加工組合さくら」を設立。合併後も引き続き事業を続け、現在は指定管理を受け運営をしています。
先輩方は早くから米粉パン作りに熱心に取り組んでおり、先進地の新潟まで出向いて勉強していました。
加工所ではパンはやはり花形。見栄えもいいし季節感もあります。私が生徒さんとともに会に参加したときも、若い人たちが頑張っているならパンに力を入れようと売り場も確保してもらいました。若い人を育てたいという強い思いが先輩方にあったんですね。ただ2年ぐらいは、知名度もなくお客さんが来ないので、労賃を出すために自分たちで作ったものを自分たちで買う―、そんな苦しい毎日でした。
でも、加工に対する熱い思いを持った先輩に囲まれ、すごく面白かったですね。みんなが一丸となって加工所を盛り上げていました。
そんな中、信州味のコンクールで「米粉やわらかみそパン」が県知事賞をいただき活気づいたのです。
―商工会議所の支援は
そんな女性たちの思いでやってきたので、経営しているという認識がなかったんです。税務署の指導を受け、事業届を出すことを知り、そこから商工会議所にコンタクトをとり、帳簿の整理、営業の届け、税金などさまざまなことについて指導していただきました。商工会議所の存在すら知らなかった状態で、本当にお世話になりました。
―パティシエの鎧塚俊彦氏や諏訪市の宮坂醸造とのコラボなど積極的に活動している
鎧塚さんの東京の店舗に、信州の素材を生かしたワッフル、ケークサレ、フィナンシェなどのスイーツを卸しています。また、宮坂醸造の「真澄」の酒かすを使ったワッフルも開発。銀座NAGANOに商品を置いたのがきっかけで、星野リゾートからコンタクトを受け、ピクルスを扱ってもらえるようになりました。私自身、組合にいなければ出会えなかった多くの皆さんと知り合うことができ、また、さくらにとってもご褒美のような仕事となり、いい刺激をいただいています。
―今年4月1日に代表に就任。今後の事業展開は
ここ2年ほど、パンの材料としてショートニングの代わりに製菓用の太白ごま油を使っています。液体のごま油を使うことにはかなり苦労しました。しかし、これこそが安心な商品を求めるお客さまのニーズに合った、またアレルギーにも対応した商品だと気づかされ、大きな達成感を感じています。今の場所に加工所と店舗を出して14年。前代表同様、継続は力なりですね。
さくらのもう一つの大きな事業として、農家から持ち込まれた果物などでジュースやジャムなどを作る受託加工も行っており、オンリーワンのこだわりの加工品を作るお手伝いをしています。
昔は熱意だけでもみんなが生き生きできました。しかし、今は賃金や働く人たちの身分保障がきちんとできなければ成功とはいえません。法人化、6次産業化などさまざまな課題はありますが、これからも仲間と前向きに面白がって仕事をしていけば、新しい出会いにつながっていくのかなと思っています。

【くらしな・きみこ】 長野市出身。1996年に、東京から夫の実家がある梓川村にUターン。2001年ころ、隣人に誘われ、梓川村農産物加工品開発研究会に参加。19年4月から加工組合さくら代表。現在、組合員は30~70代の女性40人。