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[創商見聞] No.35 松島 史郎 (株式会社 松島製作所 代表取締役)

優れた技術力でニッチを狙い、製造業で起業

―創業までの経緯は
20歳から27年間、塩尻市内の製造業の会社に勤務しました。入社したころ工場長でお世話になった人が独立してばりばり仕事をしている姿を見て、いつかは自分もという気持ちがあったと思います。
2008年のリーマンショックの少し前、独立したいと知り会いの社長さん3、4人に相談したところ、「やめておけ」と言われました。結局、リーマンショックでぐっと景気が落ち込みましたから正解だったんですが。しかし「いつかは独立したい」という思いはずっと持ち続けていました。
一番苦しかったのは、覚悟を決めるとき。「創業する」という言葉は簡単に口から出るんだけれども、いざ考えると心臓が踊ってしまって覚悟が決まらない。子どもも大学生だったし、本当に仕事があるのかってね。そんなとき、鹿児島県の知覧特攻平和会館に行く機会がありました。18歳の青年たちが、国や家族を守ろうとどんな思いで飛び立っていったのか―。きっとすごい覚悟だったと思う。彼らのことを考えたとき、自分の悩みなんて大したことないじゃないかって。創業する覚悟が決まりました。
ただ、「この時代に独立なんて」とか、周囲は反対の声ばかり。商工会議所で中小企業診断士の先生に相談したときも、返ってきた言葉は「そんな甘いものじゃないよ。やめておきなさい」と。それが逆にばねになりましたが。
独立前から少しずつ機械工具などを小遣いで買える範囲で購入し、現在、マシニングセンター、研磨機、2台のスライス盤をそろえています。研磨機はモーターを変えたり、自分好みの機械に作ってもらいました。マシニングセンターは本当に購入してよかったなと思います。アルバイトの方でも動かせるので、自分は別の機械で難しい仕事に取り組めます。
ある社長さんにどうしても独立したいと言ったら、じゃあ応援しようと。「何の機械を買うんだ」「これとこれをどうしても買いたい」。そしたら「お前、大丈夫か。そんなもの買ってやっていけるわけない」と、マシニングセンターを買うように言われたんです。
―創業3年目で法人化したが、その前から仕事はあったのか
その会社では「できない」と諦めている仕事にチャンスがあると考えました。「難しい」「できない」、そういう仕事をもらって、必死に考えて完成させました。もちろん、納期はきちんと守る。おかげさまで1年目から仕事はありました。ニッチ(隙間)でロットが少ない仕事も、逆に単価をたたかれることがなかったからよかったですね。
現在は12社ほどと取引がありますが、最近、メーカーさんから直で仕事をもらえるようになりました。「この仕事は社内でやるより松島さんのところに出すよ」と言っていただき、ありがたく仕事をもらっています。
本当に自分の全財産をつぎ込んで、借り入れ無しで機械などをそろえました。仕事以外のものは何も残していませんが、応援してくれた家族には感謝ですね。
―商工会議所の支援も大きかった
創業の準備段階から担当の谷田部さんには本当に助けてもらいました。製造業では重量の機械を設置するため、強い地盤が必要なんですが、なかなかそういう場所が見つからなくて。冬場でしたが、何件も一緒に回っていただきました。創業後も経理・会計、法人化、異業種交流、人材探しなど節目節目に相談に乗っていただき、解決してもらった。そのおかげでここまで来られたと思っています。
―今後の事業展開は
まずは自分の工場がほしいですね。あとマシニングセンターをもう1台、設備する予定です。今後は人を雇うことも視野に入れて、経営姿勢を学んでいきたいと考えています。
本当にいいタイミングで独立して、多く仕事もいただけるようになり、売り上げは毎年上がっています。今、朝5時ころから仕事をしていますが、毎日が充実していて、幸せ。独立してよかったと思っています。品質、技術のさらなる向上を目指し、納期を守る―。常に初心を忘れずにこれからもやっていきます。

【まつしま・しろう】 50歳、塩尻市出身。20歳のときに市内の製造業の会社に就職。30歳ころから工場長を務める。47歳で退社。2015年、松島製作所を創業。18年、法人化。業務内容は自動車、半導体等、産業機械の精密部品の削切、加工。