若手建築士2人独立 安曇野で新たな可能性探る

豊かな自然にひかれて安曇野に移住する人は多いが、1級建築士の島田真弓さん(36)と寺田和彦さん(34)はちょっとユニークだ。東京の設計事務所の同僚で、建築家として大都会での激務に耐え抜いた同志だ。島田さんの祖母の家があった安曇野市に移住し、共同経営の設計事務所「MIGRANT(マイグラント)」を同市豊科南穂高に開いた。2人は仕事上のパートナーだ。
東京では、若さに任せてがむしゃらに働き続けたが、心身ともに限界に達した。「ここに暮らしてこんなに心豊かになるとは思わなかった。この家なら民泊などもできるかも」と笑顔を見せる2人。事務所近くの白鳥湖の鳥のように、今は「心の翼」を休ませながら、安曇野に移住して気が付いた新たな可能性に心を躍らせてもいる。

受け継いだ家を拠点に

島田真弓さんと寺田和彦さんの新たな事務所は、築約30年の古民家風の2階建ての一軒家。1階は島田さんの居住スペース。2階を事務所にした。仕事場の西側の窓からは、常念岳を真正面に北アルプスを一望でき、「毎日、こんなにきれいな山を見ながら仕事ができるなんて感動です」と島田さん。
この家は8年前に亡くなった島田さんの母の実家。母親のきょうだいに家を継ぐ人がいなかったため、親族が「家を守るのは真弓」と決め、島田さんが小学2年生の頃、祖母から相続されていた。東京出身の島田さんにとって、子どもの頃は長期休暇などで親戚が集い、大人になってからは趣味の登山の拠点にするなど、思い出が詰まった場所だ。
島田さんは「家族から引き継いだ家を事務所にするのはどうかと思ったが、守ることに違いはないので」と思いを語る。

島田さんは早稲田大理工学部建築学科から大学院修了後、大手建築設計事務所に就職。すぐに大きなプロジェクトを担当するなど仕事は充実したが、毎日、都会のど真ん中のオフィスビルに通勤し、同僚とあいさつもしないまま、自席で作業をするという生活に疑問を感じた。
そんな時に重なった母の死とめいの誕生。「建築的志向が180度転換した」と、その会社は1年半で退職。その後、「人生を仕切り直すため」の旅に出るなどして、手塚建築研究所という夫婦で経営する事務所に入社。そこで寺田さんと出会った。
奈良県出身の寺田さんは、京都大工学部建築学科、同大学院を終え、同建築研究所に就職した。木造が得意な島田さんに対して、寺田さんは鉄骨造りを得意にしていた。
「建築的価値観は島田と合っていた」と寺田さん。料理が好きなのも共通で会社にいるときは昼食を一緒につくるなどして、一番の仕事仲間になった。
一方、仕事は激務。寺田さんは「今はすっかり変わったが、当時は始発の電車で家に帰って風呂に入り、仮眠を取ってまた出社するという生活だった」と振り返る。
島田さんも同様。入社5年目で体調を崩し、心も病んだ。そんな状況を救ったのが安曇野での登山。心身ともに回復するにつれ、独立を具体的に考えるようになった。
設計は何人かで議論した方が良いものができるというのが島田さんの考え。1年半前に寺田さんに「一緒に独立しよう」と伝え、寺田さんも当然のように同意した。

格好いいもの変わらず発信

第2のスタートの場として考えたのが知り合いが多い新潟県だったが、資金的に断念。そんな時に今まで考えもしなかった安曇野の家が「ふと思い浮かんだ」。すてきな家も、自然もある。大都市との交通の便もいい。それに、寺田さんの妻が塩尻市出身―。「安曇野を拠点に考えたらすべての条件がそろった」と、昨年6月に島田さんが移住。しばらくして事務所近くに住居が見つかった寺田さん夫妻も移住し、「MIGRANT」を設立した。
新たなスタートを切って約半年。東京時代からの関わりで、新潟県などでの仕事を続けている。この間、多くの友人を家に招くたびに喜ばれ、その評判が友達の輪も広げた。1月6日には近所の人たちも呼んで約40人の「餅つき大会」も開いた。
島田さんは「この環境なら民泊やシェアオフィスなど新たなことにチャレンジできる」と目を輝かせる。寺田さんは「田舎暮らしを満喫しているからといって、すべてが染まっては駄目。建築家として常に格好いいものを発信していきたい」と自負を見せた。
MIGRANT電話75・9917
(浜秋彦)

投稿者: mgpress