松本市のプロライダー小川さん モトクロスの日本一に挑戦

未舗装の起伏に富んだ自然のコースを専用のオートバイで疾走し、ジャンプ台などを越えながら周回して速さを競うモータースポーツのモトクロス。松本市蟻ケ崎の小川孝平さん(24)は、同競技の日本トップクラスのプロライダーだ。
4歳から始め、あっという間にモトクロスの面白さにはまってからは、父茂孝さん(51)と二人三脚で、自身の成長スピードに合わせるように、ライダーとしてのキャリアもアップ。昨年は国内最高レベルのクラスの一つで年間の総合順位3位まで上がった。
「今年は日本チャンピオンを取らないとまずいと思っている」。今シーズンの開幕戦(4月13、14日、熊本県)に照準を合わせながら、夢の米国進出に向けてアクセルを全開にする。

幼いころの夢さらなる高みへ

2018年のシーズン、小川孝平さんは、所属チームを埼玉県越谷市を拠点にするクラブチーム「グリーンクラブピュアテックレーシング」に移し、レースで使用するバイクもホンダからカワサキ製に乗り替えた。
また、レース以外のオートバイ関連の仕事が増え、マシンに乗っての本格的な練習時間は、一昨年までの週3、4回から月2回程度しか取れないようになった。
勝負に直結する微妙な感覚も全く違う新たなマシンへの対応を迫られながら、練習時間は激減するという過酷な状況の中、国内最高峰のシリーズ戦、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)全日本選手権大会IA(国際A級)2クラスに参戦した。
それまでに培った実力と、「練習十分の選手に負けてたまるか」という元来の強気な性格を発揮し、終わってみれば全9戦(第7戦は中止)のうち、総合順位3位以上が5回。中でも第6戦(昨年7月、岩手県)は、決勝の2レースとも1位の完全優勝。年間の総合ランキングは3位に入った。一昨年の同ランキングも3位だった小川さん。「昨年はトップを狙いにいってたから」と悔しさをにじませる。
今シーズンは、昨シーズンの総合ランキング1、2位の選手が海外参戦するため、小川さんが優勝候補の筆頭だ。新しいマシンにも慣れ、車体の仕上がりにも手応えをつかんでおり、「今年はチャンピオンを取るじゃなく、取らないとまずい」と並々ならぬ意欲を見せる。

小川さんがモトクロスを始めたのは4歳のころ。オートバイの免許を持っていた父の茂孝さんが、子ども用のモトクロス専用バイクを買い与えたのきっかけ。小川さん自身は「覚えていない」というが、現在、小川さんのマネジャーを務め、子どものころ、一緒に練習した上嶋翔太さん(27)は「とにかく1日中、バイクに乗っていた。お父さんが『帰るよ』というと泣いて抵抗していた」と振り返る。
以後、「モトクロス一筋」。小学1年の時に大会に初出場。2008年、中学3年の時に地方大会のジュニアクラスでランキング2位になり頭角を現し、10年に国際B級に昇格。翌11年には国際A級に昇格し、プロライダーとしての道を歩み始めた。
この間、小川さんを支えたのは家族。妹の萌衣さん(21)も小学校低学年のころまで競技をしていたため、全国各地で開かれる大会には母の寛美さん(55)を含めた家族4人で車で移動。「真夜中に家を出て、翌朝、会場に到着していた」と小川さん。また、1台数十万円するというモトクロス用バイクをプロになるまでに20台以上乗り替えたという。
今でも茂孝さんは全レースに帯同し、プロになった息子にアドバイスを送っている。小川さんは「物心ついたころは反抗していたが、ここ数年でようやく親のありがたみが分かった。感謝しかない」と心にしみている。
「子どもの頃のことはほとんど忘れたが、幼稚園生の時、お遊戯会で『将来、モトクロスのプロ選手になる』と言ったことだけは覚えている」。幼いころの自分の夢をぶれずに追い求めてきた。「自分からモトクロスを取ったら何もない。日本チャンピオンになって、本場米国の世界最高峰のレースに挑戦したい」とさらに大きな夢を追い求める。
現在、バイクパーツの資金調達のためのクラウドファンディングを実施中(3月28日午後11時まで)。アドレスは、小川-孝平-kohei-ogawa-offcial-466404467176192/

【モトクロス競技】
モトクロッサーと呼ばれる2輪車で、未舗装の周回コースでスピードを競うレース。地形を生かした勾配や人工のジャンプ台などが見どころ。
全日本選手権は1967(昭和42)年からシリーズ戦として開催。最高レベルの国際A級には、モトクロッサーの排気量により1クラス(2ストローク250cc、4ストローク450cc)と2クラス(同125cc、同250cc)がある。決勝では30人が30分+1周のレースを2回行い、合計ポイントで順位を決める。各大会のポイントの合計で年間チャンピオンを争う。
(浜秋彦)

投稿者: mgpress