県に多い「顔面土器」縄文人の謎と魅力にせまる

丸い顔に切れ長の目、何か言いたそうな口…。大桑村歴史民俗資料館に展示されている県宝「顔面装飾付有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器」は、高さ約43センチの胴体に直径約25センチの顔がある“日本一大きい顔”の土器。「悠久のほほ笑み」という愛称がついた。
顔面の装飾が施された土器(顔面土器)は主に縄文時代中期に作られ、全国的にも長野県の出土が多いという。県が「信州の特色ある縄文土器」として昨年9月に158点の土器をまとめて県宝に指定した中にも、顔面土器は多数ある。塩尻市立平出博物館(宗賀)では、新指定の土器を31日まで展示している。
縄文人はなぜ土器に顔を作ったのか、県内になぜ多いのか。県立歴史館(千曲市)の学芸員・寺内隆夫さん(59)に聞き、土器の顔をじっくり眺めてみた。

信州の特色ある縄文土器
「顔面土器」の発達

「顔面土器」が作られるようになったのは、約5400年前の縄文中期。縄文人の“ムラ”が増え、生活も栄えるようになったころだという。ヒトの顔を元に擬人化した顔面を“精霊”として器に付けることで神様として信仰した。
顔面土器の出土は長野県から山梨県とその周辺地域の勝坂式土器文化圏に集中し、縄文時代中期頃は全体の6割以上にも上る。松本平から諏訪、北杜市周辺は特に顔の作り方が上手という。
八ケ岳山麓には大規模な集落があったとされ、他の地域との交流も盛んだった。このエリアに顔面土器が多いのは、「地域独特の山信仰が影響しているのでは」と、県立歴史館の寺内隆夫さんは解釈する。
「黒曜石などの流通で人の交流も盛ん。各地の顔面土器をまねたり、斬新なデザインを考えたりと急速に土器作りは発達しました。縄文人は“ポップ”ですね」と感心する。

県宝新指定の土器

塩尻市立平出博物館で開催中の、県宝新指定の土器を集めた企画展を訪ねてみた。同市や松本市、安曇野市、朝日村の顔面土器など10点余りを含む34点を展示している。
顔面土器にはさまざまな顔がある。最も典型的な顔は細い目をした平出遺跡(塩尻市)の土器という。熊久保遺跡(朝日村)の土器は顔がシンプルで小さく、反対側にも付いている。小段遺跡(塩尻市)の土器のように、眉と耳飾りだけの簡略型もある。
また、爼原(まないたばら)遺跡(同市)の深鉢形土器は顔の下の2つの膨らみが乳房と解釈され、「土偶装飾」とされる。
いずれも土器の口縁上部に付けられているが、ほうろく屋敷遺跡(安曇野市)の出土品などは破片状。顔面は残すと災いがあると畏れられ、儀礼が終われば壊したり、取り外されたりしたことを物語る。
どの顔も個性的で愛着がわいてくる。顔面だけでなく、土器全体を眺めると、三本指を表現した人体文様や蛇などさまざまな装飾があり、時間を忘れてしまいそうだ。
顔面土器は縄文後期になると衰退し、弥生時代にはほとんど見られなくなった。寺内さんは「それぞれのムラで祈りを込めて作っていた特殊な土器。縄文人の姿を想像しながら見比べてみると楽しいですよ」と話す。
(井出順子)

投稿者: mgpress