シェフズ・ストーリー大原萬吉さん 釣ったイワナ看板に

小雪の舞う渓流に大原萬吉さん(68)が立つ。4月のある日、釣り針にえさを付け、川へ放つこと数回。魚のあたりはすぐには来ないが、「スイッチが入って来たぞ」と表情を引き締めた。
松本市中央1の居酒屋「一心」を営む大原さんは渓流釣りの名人だ。上流の冷水域にすむ天然イワナを求めて山奥まで足を運び、釣ったイワナは店の看板料理にしている。
すし職人に憧れ和食の道に進んで半世紀。4月で開店40年になる。個性的な飲食店がひしめき、競争も激しい松本駅周辺で、居酒屋として長年、のれんを守ってきた。
「イワナや山菜など、おいしい地のものでお客さんをもてなしたい。それで喜んでくれりゃぁ、俺も楽しい」。釣りを始めるきっかけは転勤族から教わった信州の大自然だった。

自然へ畏敬と感謝を胸に

松本市・一心

新鮮だから生きる滋味

「一心」は、大原萬吉さんと妻の美和子さん(67)、次男の豊さん(39)の3人で切り盛りする居酒屋だ。家庭的な雰囲気で旬の食材と地酒が楽しめるとあり、地元客から出張のサラリーマン、常連の外国人客まで親しまれている。
多くの客のお目当てが萬吉さんが釣ってきたイワナ。天然ものは、ほのかなうま味と甘み、ぷりぷりした食感が特徴。造りや塩焼き、一夜干しなど、新鮮だからこそ生きる滋味がある。
通好みなのが「骨酒」。遠赤外線で3時間、じっくりあぶったイワナを丸ごと器に入れ、日本酒を注ぐ。魚のだしが移った酒は香ばしさとうま味が格別だ。
大原さんが渓流釣りに出掛けるのは3~9月末。特に5~6月末、新緑でヤマブキが咲き誇っている時がベストシーズンだ。車で2時間、さらに歩いて1時間半の場所まで出掛ける。
半日で多い時は20匹ほど取れるが、3匹しか取れない時も。大自然の中で数時間、釣り糸を見つめながら、「『どうして自分はこんなことをしているんだろう』と思う時もある」と笑う。

開店から40年家族とともに

松本市今井生まれ。高校時代、すし職人に憧れ、松本市浅間温泉のホテルの板場や千葉県の居酒屋などを経て、1979(昭和54)年4月、「一心」を開いた。
同じ頃、転勤で松本に来た客に渓流釣りの話を聞いた。運転免許のない客を放っておけず、車で同行。市街地とはまったく違う大自然に圧倒された。魚との駆け引きもおもしろく、夢中になった。
一方、厳しい自然も突きつけられた。釣り中に後ろの岩が崩れ、そのまま押されて川に落ちて気を失ったり、熊やカモシカと遭遇したり。
それまで見過ごしていた自然界への畏敬を感じ、シーズン初日と最終日にはお神酒を持参し一礼するように。釣ったらまず手を合わせて命に感謝。釣り場を汚さないよう後輩に教えてきた。「イワナは氷河期の生き残りといわれる“命の大先輩”なんだ」と萬吉さん。

仲間と釣りに出掛けることも多い萬吉さんを支えてきたのが美和子さん。行き先を必ず聞き、おにぎりを持たせる。2人の子育てをしながら店を手伝い、「私はえさ(川虫)に触れないから釣りはしません」と苦笑い。
豊さんも加わり店は次の世代へ。活動的な萬吉さんと慎重派の豊さん。時には対立することもあるが、「地域に愛される店でいたいという気持ちは一緒です」と豊さん。
一方、萬吉さんは「新しい時代のニーズを取り入れながら、息子の代になったら“もっと良くなった”と言われる店になってほしい」と願う。
「仕事大好き、お酒大好き、女房大好き」と突っ走ってきた40年。ここ数年は釣りに行く回数が減り、イワナは仲間に釣ってきてもらっていた。3月には右手の手術をし、気分が下がっていたという。
それでも一歩、山に入ると引きつけられる。「右手も治ったし今年はまた頑張ってみようか」。釣り師の情熱が再燃している。

【メモ】
【一心】松本市中央1丁目16-5。イワナの造り(骨の唐揚げ付き)1匹1500円から、塩焼き1000円から、骨酒2000円(3合)。午後5~11時。日曜、第3月曜定休。電話0263・39・1414

投稿者: mgpress