スニーカーデザイナー安田和矢さん 幼い頃の夢を実現 母の職場で恩返し

靴の量販チェーン店、シューマート松本村井店(松本市村井町南)に入ると、正面に「SLACK FOOTWEAR(スラック・フットウェア)」と書かれた看板が目に入る。棚にはシンプルなデザインのスニーカーがずらり。
同市芳川出身の安田和矢さん(37、東京都杉並区)は、このブランドの創設者で、スニーカーのデザイナー。そしてこの店は、母頼子さん(63)の職場であり、安田さんがこの仕事を夢見るきっかけになった場所だ。
小学生の頃から、頼子さんが働く場所を「遊び場」のように頻繁に訪れていた。自然とスニーカーの魅力に引き込まれ、将来の夢は「スニーカーのデザイナーになって、シューマートに自分の靴を置き、親に恩返しがしたい」。夢をかなえて店頭に立った。

安田和矢さん 松本市出身・スニーカーデザイナー
夢の原点シューマートに出店

履きやすい靴注目され成長

スニーカーブランド「SLACK FOOTWEAR」は2017年1月、安田和矢さんが友人と2人で設立した。展示会や空き店舗に期間限定で出店する「ポップアップ・ストア」などで徐々に知名度がアップ。都内を中心に取扱店を増やしてきたが、スニーカー作りの原点の店である「シューマートで販売」はなかなか実現しなかった。
今年初めの展示会。それまでの実績に加え、何度となく訴え続けた安田さんの熱意がようやくシューマートの担当者に伝わり、長年の夢がかなった。同社7店舗に出店中だ。
4月13日、安田さんは、シューマート松本村井店の自分のブランドのコーナーに立った。店内には、地元出身のデザイナーのスニーカーを販売していることを紹介する放送が流れた。開店まもなく、安田さんの友人らも来店し、スニーカーを手に取りながら安田さんを祝福した。
出勤していた母、頼子さんは「私は持ち場が違うから」と照れながら、「ここがスタートライン。これからは結果を出さないと」と厳しく見守る。

安田さんが手掛けるスニーカーは、甲部分には布や革などの素材を使い、白、黒の他、鮮やかな水色、ピンクなどの単色使いが多い。デザインは「男女が違和感なく履けるように」とシンプルだ。
しかし、靴の屈曲部分のラバーがはがれないように補強したり、ハイカットタイプの靴の足入れ部分に突起を付けて履きやすくしたりするなど、細かな部分に工夫が施されている。30~40代を中心に通勤用など大人のスニーカーとして注目され雑誌にもたびたび取り上げられてきた。価格は約6000~1万3000円。年間2万足を売り上げるほどの急成長だ。
「見た目はベーシックだけど、販売する人がお客さんに、いろいろと『語る』ことができるのが最強のスニーカー」と安田さん。

母の勤務先で魅力にはまる

頼子さんは安田さんが小学生の頃から松本市内のシューマートの従業員として働いており、安田さんもよく訪れていた。1990年代当時は、ナイキやリーボックなどの海外ブランドがはやり、スニーカーブームの真っただ中。安田さんは店のスニーカーに詳しいスタッフから、新作のスニーカーの説明をしてもらったり、「次はこれがくるよ」などの情報を得たりしているうちに「スニーカーの魅力にどっぷりとはまった」。
ファッション誌で情報を集め、中学生の頃には20~30足、高校生になると50~60足を所有。新しいスニーカーを手に入れると、その日一晩は、「うれしくて抱きかかえて寝ていた」。スケッチブックにデザイン画を描くようにもなった。いつしか、将来の夢が「スニーカーのデザイナーになる」に定まった。
高校卒業後、専門学校のバンタンデザイン研究所東京校のグッズアクセサリー科に進学。そこで靴の他、バッグ、ベルト、アクセサリー、帽子などのデザインを学び、各科のトップに与えられる「バンタン大賞」を受賞して卒業。
革靴メーカーに就職し、企画と販売を担当。「作りたい靴と売れる靴のギャップに悩んだ」というが、「革靴の製法の奥深さを学び、結果的にこれが今に生きている」。30歳になり大手靴メーカーが立ち上げたスポーツブランドで、データなどを利用して大量生産するスニーカー作りを一から学んだ。
安田さんの夢はこれからも続く。「長野県の多くの人に自分のスニーカーを履いてもらいたい。デザイナーを目指す人も出てきてくれたら」

(浜秋彦)

投稿者: mgpress