60年以上続ける山登り 竹澤美代子さん

「静かな所で黙々と登るのが好き」。松本市惣社の竹澤美代子さんは60年以上、山登りを続けている。今も林城跡(里山辺)に週2回ほど登るなど、足慣らしを欠かさない。15日には、81歳の誕生日を迎える。
若い頃は単独行でテント泊だった。40代以降は、一緒に登る仲間たちに力をもらった。日本百名山は55歳ころに踏破。北アルプス蝶ケ岳(2677メートル)には、2021年まで日帰りで登った。頂上を極めた数は「同じ山へ登ったものや里山も含めると、3千くらいですかねえ」と笑う。
登山を糧に組み立ててきた生活。今年はそれ以外の「取りこぼしてきたものを拾っていきたい」。

35冊を超える山登りの記録

竹澤美代子さんは、一冊の手帳を持ち歩く。ページを開くと、日付と登った山の名前が記されていた。このメモはインデックス(索引)。自宅には登山の詳細、出来事、感想など各山行を記録した大学ノートがある。既に35冊を超えた。「山へ行けなくなった時、それを見て記憶を呼び戻す楽しみ」を残している。

中2の登山で山に魅せられ

駒ケ根市の出身、家は中央アルプスの麓、菅の台の近くにあった。山に魅せられたのは中学2年、駒ケ岳(2956メートル)への集団登山。以来、気が向けば夜中に登り、ご来光を見て下りた。「山の中にいればご機嫌だった」。結婚して4人の子どもが生まれ、下の子が小学校へ上がるまでは、月1、2回しか登れなかった。当時は登山靴は高価で、地下足袋を履いた。
子育てが一段落し、松本に住んだ40代初め、友人と北ア蝶ケ岳へ日帰り登山。「山から帰るのが嫌になるくらい感動した」と話す。子どもたちが成長すると、休日は山行の生活に。50代半ばの日本百名山踏破は通過点。以後、同じ山でもルートを変えるなど、各地の山を登り続けた。
強く心に残っている一つが飯豊(いいで)連峰(福島・山形・新潟県)。会津側から登り「静かで獣のにおいがあった。花がきれいだった」。もう一つ挙げたのが、新潟と福島・会津の境の八十里越(はちじゅうりごえ)。鞍掛峠(965メートル)と木の根峠(845メートル)があり、司馬遼太郎の「峠」の舞台でもある。雪の時期の山行で大変だったが「好きな峠」だ。山の中では、動物たちに出合うことも度々。「熊もかわいい。怖いと思ったことはない」
夫の清治さんは2014年9月26日、御嶽山噴火の前日に亡くなった。胸を患い無理が利かない清治さんと共に行ったのは大分県竹田市の坊ガツル。「私は湿原へ行き、夫は本を読んだりお風呂に入ったりしていた」。清治さんの理解があって山登りを続けられ、自身が山登りで体を鍛えてきたことで「家での看病ができた」と振り返る。

「地図」を見てやぶ山へ登る

5年ほど前から、日本思想史家の田中欣一さん(94、白馬村)が松本市内でほぼ月1回開く講座「閑吟塾」に参加する。清治さんの逝去から数年たち、心に空洞が生じていた時期。自身を落ち着かせたい思いがあった。日頃から「歩くことの大切さ」を説く田中さんは、竹澤さんの健脚ぶりに感心している。
近年は、高山ではないが、地図を見てルートのない“やぶ山”にも登る。昨年10月には北アで遭難した若者2人が、頼りにしたスマホが電池切れとなるケースがあった。「里山でも霧に巻かれれば、どこにいるか分からなくなる。地図を読むことが大事」。山に親しんできた人が強調する「山登りの基本」だ。