無農薬で稲作「小太郎米」 起業家から転身自然農の道歩む

中村小太郎さん 塩尻市
義父こだわりの農法を継いで

「夏の草取りはきつい」。目の前を長野道が通る水田で草取りに励む塩尻市広丘吉田の中村小太郎(本名・増永勝)さん(58)。6年前まで東京でITベンチャーを営む経営者だった。“奇跡の生還”を経て「食と農の大切さ」に目覚め、口に入れるものの重要さを考えるようになった。
亡き義父、中村豊さんが約50年実践した自然農を受け継ぐため2017年、塩尻に移住した。40アールの水田で昨年、初めて取り組んだ稲作で、収穫した無農薬コシヒカリは約2トン。「小太郎米」と名付けてインターネット通販「アマゾン」で販売したら完売。セブンイレブン塩尻下吉田店(広丘吉田)とも販売契約し、8月から棚に並ぶ。販路に苦心する自然農の農家から「風穴を開けてくれた」と喜ばれているという。

病に倒れ悟る食や農の意義

中村小太郎さんは東京都出身。東京でベンチャー企業を立ち上げ、がむしゃらに働いていた52歳の時、パーティー会場でくも膜下出血で倒れ、早急な搬送と医師の的確な処置で、九死に一生を得た。「ベンチャーの社長は3カ月先まで予定が入ってないと不安な人たち。宴席も多く暴飲暴食の日々だった」と反省を込めて振り返る。
人生で初めての入院生活と退院後のリハビリ中、いやが上にも「生かされた意味」「これからいかに生きるか」を考えさせられたという。
中村さんが倒れる3カ月前、妻の真理さん(56)は練馬区で、念願だった小さなパン店を開いたばかりだった。商売には不利な場所だが、東日本大震災からの避難家族が住むアパートが多かった。「子育て中のママ」をターゲットに販売した「天然酵母と国産小麦のパン」は、他店より値段は高いにもかかわらず、よく売れた。さらに無農薬野菜を仕入れて店頭に置くと飛ぶように売れる状況を見て、中村さんは安全な食材への関心の高さを感じたという。
病床で食や農について学びを深める中で、義父がこだわっていた無農薬の「れんげ米」がおいしい理由や安全性を理解できた。レンゲは空気中の窒素を根にため込むので、レンゲを田にすき込むと、稲作に有効な元肥となる。「無農薬、無施肥、除草剤不使用、自家採種の米作りを継いで『自然農の復権』により、人も環境も良くなるよう貢献する生き方を」と決心した。
義父の自然農の人脈を頼りに、昨春から池田町の矢口一成さんに弟子入りして、無農薬稲作の一歩を踏み出した。結婚以来、義父から米をもらっていたため、田植えと稲刈りは手伝いにきていた体験が役に立ったという。近所の人がどんなことでも教えてくれた。
「天日干しの最中に台風21号に襲われた時はおろおろしたが、1反(約990平方メートル)当たり5、6俵(1俵60キロ)の予想だった収穫は、12俵ほどもとれた。おやじの土のおかげだろうか」と中村さん。

子どものため地域のために

「ごはん給食は子どもを守るだけでなく地域も再生させる」の狙いで、全国各地で実践が始まった「ふれあい給食」がある。共感した中村さんはすぐに実行に移した。
塩尻市の給食は自校方式なので取り組みやすかったという。5月、地元の吉田小学校で「ふれあい給食-小太郎米の日」を実施。全校生徒500人分の1回分38キロの米を提供し、児童と一緒に食べて交流した。
衝撃だったのは「児童の中には食事は給食が頼りで、夏休み明けに痩せて登校する子がいる」という先生の話。心を痛めた中村さんは真理さんと相談し、自宅敷地の空き家を使って「子ども食堂機能を持ったみんなの食堂」(仮)の計画を立て始めた。
タイミング良く、講演で同市を訪れた貧困問題に詳しい東京大学特任教授・湯浅誠さんと面談。食堂づくりのノウハウや注意点の指導を受けた。市の「まちづくりチャレンジ事業」に応募を決め、目下準備中だ。

多彩な活動で就農の支援も

2年前、第1回松本マラソンが妻の実家近くを通ることを知り、まだ塩尻に移住する前だったが、夫婦で参加した。19キロでリタイアしたが、挑戦できたことで心身に自信がついたという。
日本野菜ソムリエ協会の小さなお店の開業指南講師、オーガニック・ウェブマガジン「INYOU」の契約ライターと、多面体の中村さん。「信州で就農をしたい人の支援など、私が必要とされるところで役に立ちたい」と話す。
自然農園なかむら 電話 57・4480

(谷田敦子)


投稿者: mgpress