三郷のリンゴ農家中村さん ピンクレディーで大規模農業に挑戦

「ピンクレディー」をこよなく愛する大規模農家。
安曇野市三郷でナカムラフルーツ農園を営む中村隆宣さん(60)は、約20ヘクタールの農地で主にリンゴを栽培する。果樹面積としては県内最大規模。17人の従業員とパートを雇用する園主だ。
通常、リンゴで収入が得られるのは秋季の4カ月ほどだけ。しかも収入は天候に左右されやすいため、家族経営の範囲でとどめる農家がほとんど。そんな中で、従業員を継続雇用する大規模農業に積極的な中村さんのような園主は珍しい。
「大変な挑戦だと思う。すごいことをやったか、大バカ者だったと言われるか、どっちかだ」と陽気に笑う。
台風が近付く季節。農園で栽培する「ピンクレディー」たちが心配だ。

海外の情報収集売り込みも

子どものころ、朝から暗くなるまで働く母の姿を見て「農業は嫌だなあ」と感じていた。
中村隆宣さんは旧三郷村の兼業農家に生まれた。小さな農地で、農協勤めの傍ら農業をする父とともにリンゴを育てていた母。その苦労を知りつつも「農業に関心はあった」と東京農業大学へ進学した。3年の時に休学し、アメリカ・オレゴン州でリンゴなどを栽培する農家へ住み込み留学。「帰ったらアメリカみたいに広い農場をもってリンゴをやってみたい」。その決意が出発点となった。
卒業して23歳で就農した時の農地は1・2ヘクタール。地域で荒廃農地が増えていく様子を目にし、所有者に「使わせてほしい」と頼み込んだり、逆に「使ってほしい」と頼まれたりして、徐々に規模を広げていった。就農して14年後、有限会社・安曇野ファミリー農産を立ち上げ、従業員を雇い始めた。現在の耕作地約20ヘクタールのうち17ヘクタールほどは他の農家約50人から借りている。
アメリカで大規模農業に「開眼」した中村さんは、情報収集のため海外視察も毎年欠かさず行ってきた。その中で出合ったのが、オーストラリア産のリンゴ「ピンクレディー」だった。日持ちするのが特長で、11、12月に収穫し、冷蔵庫で保管しておけば翌年5月までおいしく味わえる。その間の出荷は、従業員の冬場の仕事づくりにもなる。
ピンクレディー栽培には、権利を管理するオーストラリアの組織の許可と商標使用料が必要だ。そのため、13年前に企業組合「日本ピンクレディー協会」を設立。代表に就き、栽培を全国に呼び掛けて会員数を増やした。現在は50人。中村さんの農園でも「ふじ」に次ぐ大事な商品に成長した。
海外品種を日本に導入・登録し、試験栽培して生産につなげ、日本の品種も海外に売り込む企業コレジオジャパン(青森県黒石市)の副代表でもある。「年間雇用するためには周りと同じことをしているのではなく、特長を打ち出せる商品がなければ」と考える。

次見据えた育成と投資

摘果、収穫、選果などすべてが手作業で、1ヘクタールに1人の作業員が必要といわれるリンゴ栽培。従業員には外国人を積極的に採用し、技能実習生も受け入れている。9年目のリーダー役で、タイ出身のナッチャータ山田さん(44、松本市双葉)は以前、自動車部品工場で働いていた。当時は仕事が厳しく人間関係も希薄だったが、「ここはすごく楽しい。気軽に話せて仕事も助け合ってできる。私にとっては、ここも家族だよ」と明るい。新規就農者の育成にも力を入れ、これまでに11人が独立した。
55歳のとき、原因不明の関節痛を病み、入院生活を余儀なくされた。「そのときは先を考えずにはいられなかった。あと何年リンゴができるか、意識せざるを得なかった」と振り返る。
6~8月の収入のない時期に借り入れ、9月からリンゴの収入が入り始める。そして5月には何とかプラスにもっていく経営。「自転車操業」と笑うが、次を見据えた投資もしている。毎年、新品種を含む苗木2000~3000本を植える。収穫できるのは5年後からだ。
「自分の農地を使ってほしい」。そんな申し入れも増えた。長男隆一さん(25)は中村さんの病気を機に後を継ぐと決め、アメリカやニュージーランドの大規模農家で研修中。「この安曇野でリンゴをやれる余地がある。まだまだ頑張れる」。大規模農業の充実に向けた追い風を得て、ピンクレディーを見つめる目が和らいだ。

(梅田和恵)


投稿者: mgpress