大自然の中で作りたての味 出張料理人「山のパティシエ」 脇久雄さん

大好きな山で「食」の感動を

八ケ岳連峰の主峰赤岳(2899メートル)を望む赤岳鉱泉のテント場に、イタリア料理「トルテッリのスープ仕立て」、そば粉のクレープ「ガレット」、おなじみのデザート「モンブラン」が並んだ。
腕を振るったのは出張料理人の脇久雄さん(46、松本市島内)。人呼んで「山のパティシエHisa」だ。
4年前から、登った山で料理を作って提供するツアーを県内外で展開。富士山の山頂で結婚式を挙げるカップルのために材料を運び上げ、現地でウエディングケーキを作ったこともある。
脇さん率いるツアーに同行し、赤岳の懐で作りたての料理とデザートを味わってみた。

料理と話が好き「常連」の夫婦も

午前7時、八ケ岳西麓の登山口「美濃戸口」で脇久雄さんらと合流した。今回のツアー客はSNSで募集を知って参加した3人。
カメラが趣味の40代会社員、今井雅さん(東京都日野市)は「山を背景にしたホームページのケーキの写真に引かれました」。山好きが高じて、5月に横浜市から松本市島内に越してきた会社員の大谷侑士さん(33)と明奈さん(32)夫妻は「脇さんの料理と山の話が好き」と話す常連だ。
脇さんが背負う荷物の重量は約25キロ。テントや救助用を含む登山道具のほか、ガスバーナーや鍋などの調理器具と食材も運ばなければならない。
約3時間半で初日の目的地、赤岳鉱泉のテント場に到着した。テントとガスバーナー2基を並べ、即席のキッチンを手早く設営。コックスーツに着替え、いよいよ「山のパティシエ」の仕事が始まる。時間短縮とごみ減のため、あらかじめ下ごしらえしてきた材料を現地で仕上げる。
1品目は「トルテッリのスープ仕立て」。トルテッリはイタリア北部の伝統的なショートパスタで、今回は生ハムとリコッタチーズを中に詰めた。スープはゆで汁にトマトソースを加えて作った。ゆで汁を捨てずに済み、一石二鳥だ。
2品目はフランス北西部の郷土料理「ガレット」。香ばしい匂いに誘われ、思わず見入るキャンプ客の姿も。
3品目はお待ちかねの「モンブラン」。脇さんは、実は甘い物があまり得意でない。パティシエになったのは「そんな自分でも食べられるおいしいスイーツを追求するため」と話す。こだわりは生クリーム。「泡立てて30分以内に食べないと味が落ちる」ため、ツアーでも実践している。

長期療養生活が考える時間に…

脇さんは18歳で料理の世界に入り、洋食やフランスでのパティシエ経験など料理人歴は約30年。イタリア料理店やフランスのケーキ店に勤めたほか、2007年から約4年間、愛知県春日井市でレストランのオーナーシェフをしていたことも。
もともと秘湯巡りが好きで、奥飛騨温泉郷の新穂高温泉を訪ねた際に見た槍ケ岳の雄大な姿に心を奪われ、登山を始めた。そして14年、登山を楽しみながらケーキ店をやろうと松本市に移住した。
移り住んでわずか4日目。北アルプス・剣岳で滑落し、右手首を骨折する大けがを負った。1年間の長期療養生活は、先々を考える時間を与えた。「やり残してきたことは何だろうか」。そう考えた時、大好きな山と調理が頭の中で合体した。「デザートや料理を大自然の中で食べて感動してもらいたい」。脇さんは「山のパティシエ」になると決めた。
今年のツアーは5月以降、槍ケ岳などで17回開き、延べ80人が参加した。今回の参加料金は1人5000円。「4人はいないと元が取れない」と脇さん。店舗を持たず、キッチンカーでの出張料理の収入も不安定。冬季や出張料理の仕事がない時は飲食店で臨時に働いたり、料理以外の仕事もして生活費や資金を稼ぐ。アルバイトでレースのメカニックをしたこともある。
「山のパティシエ」をビジネスとしてさらに展開させるため、来季は山岳ガイド付きツアーを計画中。自らガイドの資格取得も目指す。

「疲れた体に、温かいスープが染みわたった」。テント場で料理を味わった大谷さん夫妻と今井さんは、ほっとした表情。記者にとって、初めての登山で味わう「山ごはん」がイタリア・フランス料理になろうとは―。「貴重な」体験に満足しつつ、赤岳登頂を翌日に予定する脇さんらを残して山を下りた。
(嶋田夕子)


投稿者: mgpress