日本の音楽シーンをけん引 老舗ライブハウス「ロフト」松本進出

松本オリジナルの音楽文化を
上條俊一郎さん マツモトロフト・松本市

「新宿ロフト」
シンガー・ソングライターの山下達郎さんやロックバンドのサザンオールスターズなど、日本の音楽シーンをけん引してきたミュージシャンが、無名の時代に出演した。
そんな老舗ライブハウスが6日、新宿駅と特急あずさで直結する松本駅のすぐ近くに進出した。「マツモトロフト」。東京、大阪以外では唯一だ。
オーナーは上條俊一郎さん(70、松本市沢村)。今もなお多くの有名ミュージシャンと交流のある、知る人ぞ知る「業界の名物おやじ」。50年近く音楽業界に身を置き、現在は故郷の松本市を拠点に音楽イベントの企画、制作などをしている。
「G・G(ジジ)」の愛称を持つ上條さんが古希を迎えて挑むライブハウスとは―。

運営軌道に乗せ後継者探しに力

改装工事が進んでいた松本市中央1の古市ビル4階の店内。「これから真っ先にやらなきゃならないのは、マツモトロフトを軌道に乗せることと後継者探しです」。オープンを控えた3日、上條俊一郎さんはそう語った。
元スナックだった約80平方メートルの空間には、コンクリートの壁、天井を走るむき出しのパイプ…。銀色のテープを巻くなどしてライブハウス感を演出した。メインステージの床は新宿ロフトのオープン時と同じ白黒の市松模様。音響機器は「ロフトの名に恥じない」ものをそろえた。
オープンの日は、ロフトの創業者、平野悠さん(75)も駆け付けて祝福。オープニングライブは、1960年代後半にはやった「関西フォーク」の代表的な一人で、上條さんと親交の深い中川五郎さん(70)が務めた。

フォーク全盛期業界にどっぷり

上條さんは松本県ケ丘高から1969年、日大芸術学部に進学。「授業がつまらなかった」と、次第に音楽事務所でのアルバイトに時間を割くようになった。その際、所属ミュージシャンの運転手として担当したのが、デビュー間もない「はっぴいえんど」。細野晴臣さん、故大滝詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さんといった日本の音楽業界を支えた面々が結成したバンドだ。
以後、フォークミュージック全盛の音楽業界にどっぷりとはまった。伝説のフォークシンガー、故高田渡さんらのマネジャーも務めた。酔ってステージに立ち、寝てしまった高田さんを「よく起こしていた」と笑う。
フォークブームが下火になった80年ごろから、音楽イベントなどの企画やコンサートを手掛けた。98年に体調を崩して帰郷。しばらく業界から離れたが、数年後に再始動。松本を拠点に地元のミュージシャンのプロデュースに力を入れた。
上條さんが手掛けた男性デュオ「B・Free」のメンバー、遠藤徹さん(57、安曇野市豊科)は「ジジと最初に会った時はヨレヨレしていて、すごい人とは聞いていたが、信じられなかった」。ただ、南こうせつさんのライブで上條さんを見つけた南さんが「『ジジがいる』と懐かしそうに笑ったのを見て驚いた」という。
遠藤さんは「ジジは『プロのステージはこうだ』ということを教えてくれた。ジジがいなかったら、音楽は続けてこれなかった」と感謝する。

資金援助「ノー」粘って共同出資

上條さんのもとには、こうした地元ミュージシャンから、アコースティック系のライブハウスを開いてほしいという要望が寄せられていた。意を決した上條さんは5月、資金援助の依頼をするため、40年以上付き合いがある平野さんを訪ねた。だが答えは「ノー」。「お前、あとどれくらい生きるつもりだ」。そう言われても引き下がらなかった上條さんに、平野さんは「松本ならいいかもな。中央線で文化がつながる」とポツリ。ロフトの運営会社と上條さんの共同出資でまとまった。
マツモトロフトは、平日昼は「昭和歌謡カラオケ」、夜は「フォーク酒場」として営業し、週末にライブなどの企画を入れる。「トークライブ」も行う予定で、22日はお笑いグループ、ポカスカジャンの大久保ノブオさんと、こてつの河合武俊さんのバトル。11月12日には東京都世田谷区長の保坂展人さんと、松本市在住で元京都大原子炉実験所助教の小出裕章さんの対談がある。
「せっかくもらった『ロフト』の看板。後継者を見つけ、引き継いでいきたい」。上條さんは硬軟織り交ぜ、松本オリジナルの文化をここから発信していくつもりだ。

(浜秋彦)


投稿者: mgpress