【講演会聞きどころ】作家・ハンセン病回復者・元信州沖縄塾々長 伊波敏男さん

社会復帰、結婚…差別の中で

住民有志でつくる「平和のための信州・戦争展」中信地区実行委員会は、沖縄県出身の作家でハンセン病回復者、元信州沖縄塾々長の伊波(いは)敏男さん(76、上田市)の講演会を松本市あがたの森文化会館で開いた。伊波さんは「ハンセン病を生きて」と題して話し、市民など約60人が聞いた。(10月6日)
中学2年生の時に発病した私は、ハンセン病療養所の沖縄愛楽園に入所し、親類縁者に差別が及ばないよう「関口進」と改名させられた。子どもの患者が多く、所内に小中学校が設けられていた。翌年、講演旅行中の作家・川端康成さんが「子どもに会いたい」と来園し、代表で私1人が面会した。川端さんは涙を流しながら「たくさん書きなさい。自分の中にいっぱい蓄えなさい」と手を握り締めてくれた。
川端さんは1972年に自死。後に私が半生記「花に逢(あ)はん」を出版した時、松本市出身のエッセイスト熊井明子さんが「川端さんがこの本を読んでいたら、自殺しなかっただろう」と手紙をくれた。
高校に進みたくて、米占領下の那覇港から脱出。鹿児島から岡山の長島愛生園へ郵便貨車で運ばれた。車中で読んだ、世界各国の代表者がまとめたハンセン病に関する国際文書に「治る病気。患者の隔離政策の見直しや差別的法律の廃止」がうたわれていて、衝撃を受けた。治療薬「プロミン」はすでに使われていたが、「らい予防法」がようやく廃止されたのは96年だった。
整形外科医の勧めで手足に12回の手術を受け、国内で初めて「元患者」を公言し、社会復帰した。理解ある女性と結婚し、2人の子どもにも恵まれた。しかし、世間の差別は苛酷だった。妻は疲れ果て、「子どもを守るため」と去った。
今思うと「世間は正論を伝えれば変えられる」と錯覚し、私は彼女の苦悩に無関心だった。現在、患者と共に差別された家族への補償が進められているが、損害賠償の申請が匿名で行われていることが、差別の根深さを示している。
2002年に国から元患者の私に支払われた賠償金1200万円は、フリィピンで地域医療の人材を育てるための奨学金に充てた。学生たちには「伊波からでなく、日本人からのプレゼントです」と伝えている。
(谷田敦子)


投稿者: mgpress