温かな食事で被災者を支援

炊き出し機動部隊みらい 台風19号県内被災地で活動

「同じ県内でこれだけの災害があるのに、松本に戻ると何事も起きていないような雰囲気を感じる」
台風19号の県内被災地で、これまでに計16回の炊き出しをした。松本市を拠点に、自然災害被災地で活動する「炊き出し機動部隊みらい」。代表で、レストラン「どんぐり」(同市中央1)を営む浅田修吉さん(61)の言葉が重く響く。
1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、16年の熊本地震、18年の西日本豪雨災害…。同市内の有志らでつくる「みらい」は手弁当で全国に赴き、温かな食事の提供を通じて被災者を元気づけてきた。
長野市豊野町豊野で11月27日に行った炊き出し。そこには隊員だけでなく、長野市や松本市、上田市、遠くは熊本県から駆け付けた賛同者の姿もあった。

必要ないと言われるまで

午前8時
「炊き出し機動部隊みらい」代表の浅田修吉さんを含む隊員3人が長野市豊野町豊野の炊き出し場に到着。学習塾やラーメン店などが集まる一角の駐車場で、堤防が決壊した千曲川の左岸からは直線距離で数キロ離れている閑静な住宅街にある。水曜日の通勤時間帯にもかかわらず、周囲に人けはない。建物をよく見ると、全ての建物の1階には浸水の跡が見える。地上約2メートルあたりに、ここまで水に浸かったと分かる汚れがくっきり。たまに車が通過すると土ぼこりがばっと舞い上がる。「ゴーストタウンみたいだろ」と浅田さん。
8時半
この場所で5回目となる炊き出しの準備を始めた。みそ汁だと400人前は作れる大鍋2個に水を張り、湯を沸かしたり、テントを張って調理台となる机を置いたり。この日のメニューは「ハンバーグカレー」と「コーンポタージュスープ」。300人前の具材を事前に用意してきた。
9時20分
「みらい」の活動に賛同する上田市の市場喜美子さん(66)と、塩尻市の50代男性がボランティアで駆け付ける。市場さんは初めての参加。「一度、力になりたかった。土砂の片付けなどは無理だが、炊き出しなら手伝えると思って」
9時50分
熊本市から車で2日間かけて来たという吉松裕藏さん(70)が到着。被災者にコーヒーを提供し、歌を歌って励ますという。熊本地震の際に「みらい」が炊き出しをしてくれたことに対し「その時の恩返しです」と話す。
10時10分
松本市内の会社員、塩原麻衣子さん(38)が駆け付ける。塩原さんの実家はこの場所のすぐ近くで、家の1階が浸水。1人暮らしの母親と愛犬は無事だったが、今は別の場所で暮らしている。塩原さんは会社が休みの日などに家の片付けに訪れており、この日は「みらい」の隊員の妻から誘われ初参加した。「少しでも近所の人たちの役に立てればいい。気晴らしにもなる」
この日の炊き出しは駆け付けた近くの福祉施設の女性職員6人らと合わせ、計14人で行うことになった。
11時半
「みらい流」のビニール袋を使った調理法で料理が出来上がる。周囲にカレーのいい香りが漂い、何となくほっとする。この場所での炊き出しの日時は、地元のボランティアによって被災者に知らされており、続々と人が集まりだした。一番乗りの女性は「温かい食べ物はやっぱりありがたい。長く続けてもらいたい」。
ボランティアが宅配も始める。その場で食べられるように机と椅子も用意したが、ほとんどの人が持ち帰る。近所の男性は、壊滅状態の自宅1階の縁側で「弁当は冷たいし、飽きちゃう」と言いつつ、カレーを食べて「うまい、うまい」を連発。誰が炊き出しをしているかを知らなかったため、記者が浅田さんのことを伝えると「後でお顔を拝見しに行きます」と一言。
午後0時半
用意した食事がほぼなくなる。先ほどの男性が再び炊き出し場を訪れ、浅田さんと対面。Aさんは「一段落したら(浅田さんが経営する松本市内の)レストランに食べに行きます」と伝え、別れ際に「気持ちだから」と言って浅田さんに缶ジュースを手渡した。
0時40分
撤収開始。被災地では水が貴重なだけに、洗い物をなるべく出さずに済むようにしており、あっという間に片付け終了。「地元から『必要ない』と言われるまで、週1回は炊き出しをする」と浅田さん。来年2、3月までは続くとみている。

【炊き出し機動部隊みらい】
阪神・淡路大震災を機に、松本市内の調理師ら有志で1995年に立ち上げた。隊員らがボランティアで活動しているが、公共的活動応援サイト「県みらいベース」を通じた寄付も活用している。詳しくはブログ(http://takidashi.naganoblog.jp/)。浅田さん電話090・7816・9095

(浜秋彦)


投稿者: mgpress