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松川でカステラ専門店を開店

「この魚板を三回叩(たた)いてください」。説明書きにそう書いてある。どうも呼び鈴代わりのようだ。傍らにつるしてある木づちでたたくと「カーン」と乾いた高い音が響いた。エプロン姿の男性が笑顔で現れ、店内に案内してくれた。
松川村の静かな住宅街。「きいろいポケット」と記された看板に導かれ、たどり着いたのは蔵がある民家の庭だ。民家の一室に小さな店がある。細長い窓から厨房(ちゅうぼう)をのぞくと、真剣なまなざしで手を動かす女性の姿が目に入った。
10月に開店したカステラ専門店。営むのは8月に神奈川県から移住した常前勝則さん(64)、寿子さん(63)夫婦。第二の人生を松川で歩み始めた2人。「装備もなく登山するような挑戦、冒険の旅です」

カステラ専門店営む 常前勝則さん・寿子さん 松川村
遊び心と冒険心 新天地で挑戦

松川村のカステラ専門店「きいろいポケット」の店内は、壁の一部に茶と焦げ茶の“カステラ色”があしらわれ、かわいらしさと落ち着きが同居した空間だ。中古住宅の和室と台所を改修して、厨房と店舗を設けた。
常前勝則さん、寿子さん夫妻が手作りするカステラの材料は全て国産で、小麦粉は県内産、卵は中信地区産。焼き上げたカステラは一晩寝かせて販売している。使う蜂蜜の蜜源ごとにアカシア、レンゲ、クローバーの3種類(1本900円、ハーフ450円)があり、それぞれ香りや後味が異なる。
「お母さんの焼くカステラのイメージですかね」と寿子さん。飾り気はないが、しっとりとしたやさしい味わい、甘さがじんわりと口に広がる。
商品棚にはカステラのほか、カステラ生地を材料にひと手間を加えた商品が並ぶ。ラスク、クッキー風やスフレ風の焼き菓子などもあり、にぎやかだ。村商工会の協力で開発した村内産モチキビ入りのカステラや焼き菓子(不定期販売)も人気という。
異彩を放つのが、勝則さんが自信たっぷりに勧める「かすてらッコ」(160円)。ラスクを粉末にしたものを牛乳に混ぜて味わう「飲むカステラ」だ。半信半疑で口に含むと、うん、確かにカステラの味。ユニークさがほしいと開発した。
製造を主に担当するのは寿子さん。勝則さんは持ち前の遊び心と冒険心を発揮して、新商品のアイデアを次々と生み出し、試作を重ねる。「おいしく焼けたね」と笑顔を交わす日もあれば、意見がぶつかる日も。金、土、日曜だけ開く小さな店を、二人三脚で切り盛りする。

楽なことより楽しいことを

2人は岩手県出身。同じ高校に通い、それぞれ首都圏で就職し、その後、結婚。都市部などでサラリーマン生活を送ってきた。その間、賃貸物件で暮らしてきたこともあり、将来を見据えて持ち家に住める場所を漠然と考えていたところ、たまたま足を運んだ安曇野の景色に心を奪われた。安曇野市に移住した知人の勧めや、駅近くに気に入った中古住宅が見つかるなど縁が重なり、松川村で暮らし始めた。
寿子さんが以前から作っていたカステラは周囲からも「おいしい」と喜ばれ、勝則さんが「売ってみたら」と冗談半分に話すこともあった。移住に際し、当初は職を探すつもりだったが、松川村の物件を見て店を出せそうな広さがあったため、なりわいに決めた。「収支計算はギリギリ。働きに出た方が収入面で楽かもしれないが、明日何があるか分からない。だったら楽しいことを」と寿子さん。
作る物も自由、遊びに行くのも自由。庭いじりや日曜大工も楽しめる。松川での暮らしと健康も大切にしたいと考えた上での決断だった。「険しい道だけれど、挑戦する楽しさはある」と勝則さん。寿子さんは「財産はなくても気持ちは豊か。名字のとおり『常に前に進む』。幾つになっても限度はないと思うんです」。
店名は、幸せやカステラをイメージする黄色と、何が入っているか分からない楽しさがあるポケットを組み合わせた。開店から2カ月。客足がまばらの日もあるが、リピーターも徐々に増えてきた。ギフト需要には予想外の手応えも。「今は若干仕事に追い掛けられています。うれしい悩みですけれどね」と勝則さん。
新天地に選んだ村で、2人は来店客と交わす会話や、友人、知人らの応援から活力をもらいながら奮闘している。

【きいろいポケット】
県営住宅松川団地西側の住宅街。店舗営業は金~日曜の午前10時~午後5時。℡0261・88・0017。ホームページ(「きいろいポケット」で検索)からも注文できる。ブログもある。

(青木尚美)