安曇の集落住民が守る稲核菜

松本市安曇の集落「稲核(いねこき)」(89世帯)の住民が守り伝える「稲核菜」。アブラナ科の植物は交雑しやすいため、住民は集落より200メートルほど標高が高い場所にある特別な畑で栽培し、その種を採取するなど“純血”を絶やさない努力を続ける。住民が井戸に集まり協力して行う「お菜洗い」とともに、いつまでも残したい味と風景だ。

特別な畑で“純血”絶やさぬ努力

昨年11月下旬、稲核地区の諏訪神社の横にある井戸で、3軒の住民8人がお菜洗いをしていた。お年寄りが先に湯で洗った稲核菜を、若手が腰をかがめて冷たい水で洗う。「腰痛いで休み休みやりな」。声を掛け合い、冗談を言いながらの作業で「みんなでやるから楽しい」と有馬節子さん(85)。その稲核菜の種は、住民が「うえんてら」と呼ぶ「上の平」の畑で採取された。

その10日ほど前、上の平の畑で有馬武人さん(82)と阿部克美さん(70)が稲核菜を抜いていた。葉とかぶを見て、良いものだけを選んで植え直す。2人は、ほかのアブラナ科の植物の花粉が飛来しにくい上の平で8月中~下旬に種をまき、翌年の6月に刈り取って乾燥させ、種を採る。
有馬さんは、種を長年作っていた祖父の故・保金さんが引退した25年ほど前、川上一人さん(87)と共に後を引き継いだ。種を買い取る稲核生産者組合の川上一治組合長(62)は「2人の労を惜しまない丁寧な仕事は、見学した研究者にも絶賛された」と話す。
川上さんは7年ほど前に引退し、弟の喜美雄さん(77)に交代。さらに3年ほどで阿部さんにバトンタッチした。農業は初めてだった阿部さんは「当初は失敗続き。やっと良いものができるようになったが、難しい」。イノシシやサルの害にも頭を悩ませる。
昨年は有馬さんが7キロ、阿部さんが3キロの種を採った。乾燥させた実をふるいにかけ、種を仕分けるだけでも大変な作業で「85歳までは何とか続けようと思う」と有馬さん。

戦前は松本平の広範囲で栽培されたという稲核菜。戦後は収穫率が高い野沢菜に追いやられたが、発祥の稲核地区で大切に受け継がれてきた。交雑を避けるため、稲核菜以外の菜花が咲いていないか、町会の役員が見回った時代もあったという。今では地区内で他品種を作らないのが、暗黙のルールだ。
稲核菜を守るため、住民らは1990年に生産者組合を結成し、組合が運営する道の駅「風穴の里」で種や菜、カブの漬物を販売するなどし、栽培を後押ししてきた。
2018年度から、松本市が支給する生産奨励金の対象になり、他地区でも栽培農家を募集。島内と寿、山辺の各地区でも作られるようになり、漬物の製造量も増え、地元や東京でのイベントなどでPRできるようになった。
それでも、稲核の住民らの“危機感”に変わりはない。「栽培量を増やすことはできても、種を作るのはたやすくない」「絶えるのは早い。絶えたら終わり」。稲核菜を守り、伝えることは地区全体の願いだ。

【稲核菜】
葉は野沢菜より細く、草丈も低い。茎は繊維質が多いが、霜に触れてから収穫すると独特の甘みが出る。かぶが大きく、ぴりっと辛いのも特徴。葉と茎はしょうゆ漬けや塩漬け、かぶは甘酢漬けなどにする。かつて野沢菜(野沢温泉村・県全域)、羽広菜(伊那市西箕輪)とともに「長野の三大漬け菜」と言われ、2007年、県選定の「信州の伝統野菜」に認定されて再び注目を集めるようになった。

(田原利加子)


投稿者: mgpress