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山加荻村漆器店・蒔絵師荻上文峰さんと一田萌里さん 師弟で木曽漆器に新たな風

ベテランの技と新人の発想で
荻上文峰さん・一田萌里さん 山加荻村漆器店(塩尻市)

ギターに鮮やかにデザインされた2羽の鳳凰。描いたのは、塩尻市木曽平沢の山加荻村漆器店で働く蒔絵(まきえ)師、荻上文峰さん(69)。長野五輪のメダル製作に携わるなど、木曽を代表する職人だ。
ギターの持ち主はシンガー・ソングライター、南こうせつさん。昨年12月の民放テレビの音楽番組で奏でる姿が放映され、スポットライトを浴びて鳳凰がきらきら輝いた。
荻上さんは同月、岐阜県中津川市のギターメーカーに、アユを描いたアコースティックギターも納入した。琉球漆器の伝統技法「堆錦(ついきん)」が使われている。かつて大阪で漆芸作家をしていた弟子の一田萌里(めぐり)さん(32)が発案した。
師弟であり、同志でもあるという2人。ベテランの技と新人の発想が、木曽平沢に新たな風を吹き込む。

会話しながら

軽妙な落語が流れる作業場。山加荻村漆器店の蒔絵師、荻上文峰さんと一田萌里さんは、向かい合わせの机で手を動かす。
「一日中、同じ動きを繰り返しているので音のない世界で黙っていたら気持ちが煮詰まってしまう」と一田さん。自身も作業場でよく話すといい、「師匠が『うん、うん』と聞いてくださるので助かっています」。
荻上さんに「心が乱れませんか」と尋ねると「楽しくていいよ。どんな精神状態でも筆先は乱れない。23歳の時からやってるんだから」との言葉が返ってきた。

輪島で腕磨き

荻上さんは安曇野市三郷出身。大好きな絵を描いて生活したいと、東京の美術専門学校を卒業後、山加の蒔絵師になった。
荻上さんによると、蒔絵師になった当時の木曽平沢には、簡単で大量生産できる技法の「消し蒔絵」しかなかった。そこで、荻上さんは「表現の幅を広げたい」と、石川県輪島市の漆芸家、福久清一さんに弟子入り。鳳凰の絵で使った「高盛り蒔絵」などの技法を学んだ。
福久さんからは「これはこう」「これはだめ」といったことを一切言われなかったという。「弟子にすごく気を使い、働きやすい環境をつくっていた。弟子の個性や感性を尊重してくれたからこそ、それをどう伸ばすか常に意識できた」
山加に戻ると、荻上さんはテーブル、座卓、飾り棚、びょうぶなど一品物への絵付けを任されるようになり、独自の世界観で高い評価を得ていく。
2000年代に入ると、山加の蒔絵師は荻上さんただ一人に。17年3月のある日、ひょっこりと作業場に現れたのが一田さん。その3カ月後に弟子になった。

苦手な蒔絵も

京都府育ちの一田さんは「とにかく漆が大好き」。広島市立大芸術学部在学中、2年間休学して石川県立輪島漆芸技術研修所へ。大学卒業後に結婚、出産。離婚後は子育てとアルバイトをしながら作家活動を続けた。
そんな折、大学の先輩から「山加が蒔絵の後継者を探している」との話が舞い込む。実は一田さんは蒔絵が大の苦手。学生時代に少し経験したが、「こんな細かい作業、私には無理」と、それ以降、一度も筆を持たなかったほどだ。
「先輩の勧めをむげにもできず」と山加へ足を運んだ一田さん。採用の面談でも蒔絵が苦手であることを正直に伝えたが、荻上さんと出会い、心が変わった。「私がイメージする職人と違った。この人となら一緒に座っていられると感じた」。その夏、自分でも「まさか」の蒔絵師になった。

互いを尊重し

荻上さんと一田さんの師弟関係は、上下の関係ではない。作家として全国の作り手と交流する一田さんは、固定観念にとらわれない自由な発想を持ち、荻上さんはそれを尊重する。
一田さんが新しい表現を提案すると、荻上さんは「面白い。やってみな」と返す。うまくいかないと荻上さんが「こうしてみるといいかも」と助言。こうして、今まで木曽平沢になかった表現が生まれていく。たまにけんかもするというから、まさにクリエーティブな現場だ。
「漆器に限らず何でも、文化の中で必要性があり、やりたいという人がいるから、残っていくのでは」と一田さん。「私は漆が好きだからこの仕事をし、師匠がいるから続けられていて、今の時代にどう蒔絵を提案していくか模索している。そうやって、結果的に引き継がれていくのではないでしょうか」

(松尾尚久)