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【シェフズ・ストーリー】レストロリン・小林昌和さん

「猟師兼料理人」挑戦の日々

熱々のフライパンに載せた赤身の肉が焼ける「ジュッ」という音と、そこから広がる香りが厨房(ちゅうぼう)を満たす。傍らではスタッフがテンポ良く動き、客が料理を待つホールからは、楽しげな会話が聞こえてきた。
提供するジビエ(野生鳥獣の肉)料理の食材を自ら調達する「猟師兼料理人」。それがロースト&グリルレストラン「レストロリン」(松本市中央2)オーナーシェフの小林昌和さん(50)だ。
2月15日までの狩猟シーズンは毎朝、キジなどを撃ちに出掛ける。都会のシェフにはまねできない、自然に囲まれたこの地ならではのスタイル。ガス台の前に立つ小林さんには、赤身の肉塊が似合う。
25年前の阪神・淡路大震災で被災。その後も店舗の移転など、試練のたびに持ち前のバイタリティーで道を切り開いてきた。

「楽しくておいしいもの」追求

獲物を探して野山駆け巡る

凍(い)てつく早朝、松本市内を見渡せる高台で小林昌和さんは獲物を探す。狩猟免許を取って5シーズン目。「ようやく慣れてきたけれど、猟師としては半人前」。2時間で3、4羽捕れればいい方で、まったく捕れない日もある。今季は2カ月でキジ、コガモ、キジバトなど約40羽を仕留めた。
狩猟シーズン、レストランの営業日は毎朝2時間、定休日は丸1日、獲物を探して野山を駆け巡る。鳥は腸を取り除いて冷蔵。料理に最適なタイミングを見てさばく。肉だけでなく、砂肝やレバー、だしの取れる骨まで使う。ジビエの扱い方を含めシェフとしての原点は神戸にある。

高校を卒業後、出身地の上田市を離れてカナダに語学留学した。その時のルームメイトが作ってくれたメキシコ料理がおいしくて、飲食業に興味を持ったのが、料理の道に入るきっかけだった。帰国し、神戸市の調理師学校で学びながらメキシコ料理店で働いた。
期待したメキシコ料理だったが、本場の味との違いに違和感を覚え、22歳で神戸にあるフランス料理の有名店「コム・シノワ」の門をたたいた。そこのオーナーシェフ、荘司索さんの独創的な料理に感銘を受けた。
新たな職場はフレンチを習ってきた料理人ばかり。もちろん、まかないもフレンチだったが、小林さんが作ったまかない料理は手慣れたメキシコ料理のチリコンカン。「面白いな」。荘司さんの目に留まった。
その4年後、仕事が充実してきた1995年1月17日。阪神・淡路大震災が発生。住んでいたアパートは半壊し、レストランは壊滅的に。郷里の上田に戻り、アルバイトをしながら連絡を待った。1年半後、店の再開を待って再び神戸へ。新店舗のシェフを任されるまでになった。
そして温めてきた自分の店を持つ夢を実現すべく上田に戻り、33歳でビストロ(小規模なレストラン)を開いた。「10年たったらほかの街で勝負したい」と思っていた小林さんは、街なかに飲食店が多い松本を出店先に決め、2012年、同市大手に開店。18年4月に信毎メディアガーデンに移った。

周囲へ感謝と原点忘れずに

小林さんには忘れられない失敗がある。29歳の時、コム・シノワでメインディッシュ担当に抜てきされた。その初日、緊張もあって、仔羊(こひつじ)の塩釜焼きの火加減がうまく調節できなかった。「どんな時でも完璧な料理を出すのがプロ」。それを思い知った。
現在、「レストロリン」で提供しているロースト料理は20種類ほど。個体差を見極め、焼いたり休めたりしながら肉汁を中に凝縮させる。フォンドボーは2日間煮込み、パンは毎朝焼き、デザートも手作りしている。
「一見いかつい感じだけど、良く笑うし情も厚い。『将来こうなりたい』と思う理想の大人です」。同じ信毎メディアガーデンにある丸山珈琲松本店の店長で、レシピ開発やコーヒーの入れ方など互いの得意分野で情報交換している小野正人さん(30)は、小林さんをそう評する。

神戸も松本も、最初は知り合いのいない街だった。「とにかく自分が楽しくておいしいと思うものに挑戦してきた」と小林さん。妻の真由美さん(47)や店のスタッフなど周囲への感謝も忘れない。
原点を忘れないように|と、時折神戸の荘司シェフの店を訪ね、研修することも。「料理も人生も、その時々で変わるドキドキ感が楽しい」。やぶをかき分けて獲物を探す猟師の目つきで語った。

【メモ】
【ロースト&グリルレストランレストロリン】午前11時半~午後3時(ラストオーダー1時半)、5時半~10時(同8時半)。月曜と第1、3日曜定休。ランチ2200円~、ディナーはコース5500円、アラカルト660円~。予約優先。松本市中央2─20─2信毎メディアガーデン3階。℡0263・32・8911

(井出順子)