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ビルとビルの間に見える! 本町通りから「松本城天守」

銀行などのビルが立ち並ぶ松本市中心市街地の本町通りに、国宝松本城天守が見えるポイントがあるのを知っていますか?
その一つが「中央二丁目」交差点。MGプレスも入居する信毎メディアガーデンから北アルプスを正面に横断歩道を渡ってみましょう。逆に信毎メディアガーデンに向かっても大丈夫。北の方角に目を向けると、ビルとビルの間に一瞬、われらが「松本の誇り」が姿を見せるはず。交差点なので立ち止まらず、目を向けるだけにしましょう。
信毎メディアガーデンで、飲食や買い物、催事などを楽しむついでに、ちょっと試してみては。松本の「トリビア」として、話のタネになるかもしれません。ただ、この景観は今後、見られなくなる可能性が…。

新市立博物館めぐり要望 松本城の見える街プロジェクト

一瞬の貴重な景観残したい

松本市では現在、市立博物館を松本城大手門駐車場北側一帯に移転する計画が進行中。4月以降に本格着工する予定だ。新博物館はビルの隙間から天守が垣間見えるわずかな空間に位置。最高地点が17・85メートルあり、同博物館は「(完成すると)本町通りから天守は見えなくなる」としている。
本町通りから国宝松本城天守が一瞬見える「貴重な」景観を残そうと、同市の有志がこのほど「松本城の見える街プロジェクト(仮称)」を結成。この景観の存在を広く知ってもらい、署名活動などを通して新博物館の設計変更などを市に要望していく考えだ。
発起人は、古地図愛好家で、松本城の城下町の街並みなどを研究している溝上哲朗さん(57、みぞうえ内科医院院長)と、同市内の老舗あめ店3店でつくる「松本飴(あめ)プロジェクト」のメンバー、他に有志4人。1月26日の初会合で、インターネットを使った署名運動をすることなどを確認した。
「飴プロジェクト」の太田喜久さん(57、山屋御飴所)は「天守の景観を残すのは、松本の飴文化を残すのと共通点がある。天守が見えなくなってからでは遅い」と話す。

溝上さんは4、5年前に本町通りから松本城の天守が見えることに気付いたが、そのときは「あまり重要なことじゃない」と感じていた。当時、溝上さんは「城と山」の関係を調査。その中である書籍に「山当て」という言葉を見つけた。著者の解説によると、「山当て」は「城下町の設計段階で周囲の山の頂に向かって意図的に通りをつくること」とあった。
「山当て」と思われる場所として溝上さんは、同市の重要文化財「高橋家住宅」(開智2)がある徒士町の通りから望む袴越(はかまごし)山、上小路(大手3)と天神小路(深志3)から望む美ケ原王ケ鼻、餌差町(大手5)から望む乗鞍岳|の4カ所を確認。2014年に発行した冊子「松本景観ルネサンス」で、「400年前の設計当初から確かな意思を持って都市のあちこちに珠玉の空間デザインを配置した」と紹介した。
城下町からの天守の眺めについて考えを深めた溝上さん。「山当ては山の見せ方。城主が本当に見せたかったのは城で、城の見せ方にも意図があったのでは」と思い、本町通りからの景観を再考。山当ての言葉を見つけた本に「真っすぐな街路や水路があって、その突き当たりに視線を受け止めるアイストップが置かれている形式を『ヴィスタ』と呼ぶ」とあり、ひらめいた。
城下町の古地図で延長線上に天守が現れる通りを探した。可能性があったのは本町通りと塩屋小路。さらに調べると、塩屋小路はその可能性は低いとし、「ヴィスタ」の形式と合致するのは本町通りのみと結論付けた。
溝上さんは「史料が残されているわけではないので、推論の域は出ないが」と前置きした上で、「天守は権力の象徴。その姿を商いで最もにぎわう本町の突き当たりに置いたのは意図したとしか考えられない」と持論を展開する。
「中央二丁目」交差点の近くにはかつて、松本藩が来客を迎えた施設「御使者宿」があった。「客人らが天守を眼前に望みながら登城したときと同じ感覚を現代も味わえるのはロマン」と溝上さん。「本物の天守と、城下町特有の街並みが残る松本ならではの景観をぜひ残したい」。その思いを多くの人と共有したいと考えている。
問い合わせは太田さん電話32・4848

(浜秋彦)