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不自由なんの車椅子のお医者さん 松川の開業医・岡村さん

ハンディあっても不幸じゃない

「お大事にね」。患者に声を掛ける医師。医院では普通の光景だが、松川村のおかむら眼科では患者から「先生もお大事にね」との言葉が。互いを気遣う会話が交わされる同医院の診察室は、和やかな空気に包まれる。
同医院の院長、岡村剛男さん(68、池田町会染)。8年前、大腿(だいたい)骨を折ったのがきっかけで歩行困難に。以来、「車椅子のお医者さん」として、診察を続けている。
2017年に肺炎で倒れ、一時は生死の境をさまよった。約4カ月後、診察を再開。患者により近い立場で、今日も向き合う。「不自由はあっても、不幸ではないですね」

患者ともっと近く京都からIターン

キツネがマスコットキャラクターのおかむら眼科(松川村)。岡村剛男院長と妻で看護師の智子さん(54)の出身地である京都の伏見稲荷大社にちなむ。2007年、松川村に移転開業するまでは、同大社表参道の大鳥居のすぐそばで、17年間医院を開いていた。その当時にデザインしたキャラクターを、そのまま引き継いでいる。
京都市で医院を開いていたころは、日々の診察や白内障の日帰り手術で多忙を極めた。そんな毎日に「何か物足りなさを感じていた」と岡村さん。そこで、夫婦そろって趣味にしているスキーや登山が気軽にでき、北アルプスの眺望が楽しめる地で暮らそうと、医院を後輩の医師に譲って信州にIターンした。
松川村の医院では、近くに大きな病院があるため手術はしない。「患者さん一人一人とゆっくり話をしたい」。そうした思いが、この地で実現した。

倒れて閉院寸前も情熱と使命駆られ

大腿骨骨折の際は短期間の休診で仕事に戻ったが、歩行に困難が生じ、車椅子を使うようになった。3年前に倒れた際は意識レベルの低い状態が続いた。「家のことは分かっても、当時は医院のことは分からず、パニックでした」。智子さんは覚悟を決め、閉院に向けた手続きに取りかかり、スタッフにも心を決めてもらった。
「早く再開しなくては。必ず戻るから」。意識を取り戻した岡村さんは、智子さんの心配をよそに復帰への強い意志を示した。治療と並行してリハビリにも励んだ。再開を待つ患者の声も支えになった。「使命感もあったし、仕事が好きなんですね」と岡村さん。入院先の病院から許可を得て初めて外出した際は、愛猫が待つ自宅に戻るよりも前に医院に直行した。
体のハンディ、生死をさまよった病の経験は、患者との心の距離を縮めてくれたようにも感じている。来院者には高齢者も多く、福祉用具や居住環境など当事者目線で助言も。
岡村さん自身、車椅子生活を始めたころは外出するのが恥ずかしかった。「『乗りたくない』っていう患者さんの気持ちが分かります」。院内は従来からバリアフリーに対応しており「結果として、自分も助かっている」が、車道と歩道とのわずかな段差やエレベーターのない駅では苦労することもある。それでもバリアフリー対応施設や手助けしてくれる街の人も多く、休日には以前と同じように買い物や映画、旅行に出掛ける。
開院当時から通う牧野あつ子さん(79、同村)は「先生の精神力に感服。足や腰が痛いけれど、こんなことでめげていてはいけないですね」と話す。不自由さを抱えながらも生き生きと活動する姿を見せることが、患者たちの背中を押すことにもつながっている。
(青木尚美)