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鐘楼に戻った「主役」 約80年ぶり城下町の「時の鐘」

戦時中に供出…令和に復活

高さ152センチ、重さ約800キロ。復元された青銅製の釣り鐘が姿を現した。「ゴォーーン」。鐘の音が約80年ぶりに松本市街地に響きわたった。澄み切った青空の下、余韻は30秒を超えて続いた。
松本市中央4の妙勝寺(石川隆也住職)境内にある県宝「旧念来寺鐘楼」。12日夕方4時ころ、釣り鐘の設置作業が終わり、鐘楼を所有する妙勝寺の門徒や関係者がベイマツ材の撞木(しゅもく)で突くと拍手が湧いた。
鐘は戦時中の1942(昭和17)年、他の金属製の飾物と共に武器や砲弾の材料として供出され、失われたままになっていた。江戸の昔から、「時の鐘」として松本の城下町に時刻を知らせていたという。平成を経て令和の今、約80年間、“主役”の帰りをじっと待ち続けていた鐘楼に、再び「命」が吹き込まれた。

史料を基に再現 新たな時代刻む

妙勝寺境内にある県宝「旧念来寺鐘楼」の鐘の復元は、鐘楼の耐震工事や保存修理をきっかけに実現した。供出前に撮影された写真や史料を基に、材質、大きさ、模様、銘文なども忠実に再現。鐘の内側には、今回の経緯や製作年月などを新たに刻んだ。
松本市教育委員会によると、かつての鐘は1699(元禄12)年の鋳造。鐘楼は、その6年後の1705(宝永2)年の建築で、高さ12・67メートルの入母屋造りだ。銅板瓦ぶきのはかま腰付き建物で「その規模は全国屈指。随所に施された彫刻も素晴らしく、大変貴重」と市文化財審議委員の後藤芳孝さん(72)は解説する。
念来寺は庶民信仰の寺として栄えたが、明治の廃仏毀釈(きしゃく)で廃寺となった。「時の鐘」として利用されてきた鐘楼は唯一残され、1920年ころまでその役目を果たしたという。妙勝寺は20年ほど前に現在の場所に移った。
青銅製の鐘は、松本の名工、鋳物師田中伝左ヱ門吉繁らが携わったとされる。関係史料から、口径は3尺(約1メートル)あったことが分かった。
「令和の鐘」は、鋳物産業で歴史のある富山県高岡市の製作所に鋳造を依頼。鐘と共に供出された2階欄干の「擬宝珠(ぎぼし)」や錺(かざり)金具の「八双金物」「六葉」なども復元し、鐘楼に取り付けた。耐震補強も含め、総事業費は約3100万円。県と市の補助金計1880万円を活用、その他の費用は寺や門徒らの寄付で賄った。
住職の弟で門徒総代の1人、石川裕之さん(57)は「元々、鐘のない鐘楼の姿が当たり前で育った。どんな鐘の音がするのか楽しみにしていた」。鐘を鳴らした後は「思っていた以上に澄んだ音色。昔の人もこんな鐘の音を聞いていたのかな」と思いをはせていた。
県文化財保護協会顧問で、先々代住職のおいにあたる長岡寿さん(83)は「生前、かなえられなかった代々の住職らの願いがようやくかなった。松本の宝として次の世代まで大切に守っていきたい」と目を細めた 。
(高山佳晃)