昭和の旧車に魅せられて…

醍醐味は乗る以上に「工程」― 旧車マニア・宮澤さん

「ハコスカ」「ケンメリ」「ハチロク」「てんとう虫」…。ピンときた人は昭和の名車好きに違いない。いかした車を持つことが若者のステータスだった時代。人気があったり特徴的だったりする車は愛称で呼ばれていた。
安曇野市三郷小倉の会社員、宮澤宏和さん(52)は、昭和の名車好きの一人だ。コンピューター制御に頼らない機械式の旧車で「車いじり」を楽しむ。
「部品はほぼオリジナル。エンジンも一発でかかり、現役ばりばりで走ります」。そう言ってのぞきこんだのは初代日産セドリックのエンジンルーム。隣には「鉄仮面」の愛称で知られる6代目スカイライン。「今、こいつのエンジンを作っているところ。近々、載せ替えますよ」。メカ好きの瞳が輝いた。

原点となる車は初代セドリック

宮澤宏和さんが旧車マニアになる原点となった車は、1964年式の初代「日産セドリック」。今から半世紀以上前に生産された日産初の純国産中型乗用車だ。横目丸4灯のヘッドライトを持つ後期型で、前傾のAピラー(窓柱)が特徴的。車体にはかつてのアメリカ車の雰囲気が漂う一方、シートには西陣織を採用するなど、和風の高級感も併せ持つ。
宮澤さんの父の和夫さんが購入し、宮澤さんが物心ついたころには既に家にあった。新車の価格は100万円前後で、「当時は、家の建物と同じぐらいだったらしい」と宮澤さん。運転席は和夫さん、助手席に母、宮澤さんら子どもは後部座席に座り、家族みんなで旅行に出掛けた思い出がこの車に染み付いているという。

父の大切な車を1年かけて整備

宮澤さんは大学卒業後、大手化学メーカーに就職。塩尻工場に赴任した2002年、実家を訪ねると、初代セドリックは車庫に大切に保管されたままだった。和夫さんに自分が整備して引き継ぎたいと申し出、譲ってもらった。
「高校を卒業する頃にはほとんど乗っていなかった」という車は動かせる状態ではなくなっていた。腐食した燃料タンクやエンジンルームの管の交換など整備を開始。部品は汎用(はんよう)品で代用できるものは購入したが、それ以外は設計図を書き自作した。
和夫さんは金属加工の仕事をしていたため、自宅併設の工場にはフライス盤や旋盤などの機械がそろっている。宮澤さんは幼い頃から和夫さんがこれらの機械を使って仕事をしたり、車の修理をしたりする姿を見ており、大体の使い方は分かっていた。休日などを利用して整備作業を行い、往年の名車を製造された頃とほぼ同じ状態に仕上げるのに約1年を費やした。
宮澤さんは「父が大切にしていた車。自分にも思い出があり、愛着もある。これからも可能な限り所有し続けたい」と思いを語る。

スカイラインは老後の楽しみに

「車の機械的構造は工業製品の集大成」と話す宮澤さん。普段はセラミック関連の生産技術開発や製品開発に携わっており、車の構造を理解していることが、自分の仕事にも役立っているという。
車いじりの醍醐味(だいごみ)は、完成させた車に乗る以上にそれまでの工程にある。「根っから物作りが好きなんです」といい、3月には趣味が高じて「3級自動車整備士」の資格も取得。宮澤さんは「自動車の知識レベルがどのくらいあるか試したかった」と笑顔を見せる。
現在いじっているのは、2台所有する1983年式スカイラインのうちの1台で、フロントの特徴的なデザインから「鉄仮面」と呼ばれた名車だ。宮澤さんが子どもの頃から憧れていた車で大学4年時に購入。これまでにエンジンは3回、トランスミッションは4回、自力で載せ替えた。今は4回目の交換に向け新たなエンジンを組み立て中だ。
「これが終わったらその後、何をやるかは決まっていない」と言う宮澤さん。その傍らにはシートをかぶった同じ83年式の6代目スカイラインがあった。「こいつの整備は、老後の楽しみに取っておきます」と、いとおしそうに見詰めた。