思誠寮の太鼓 歴史の遺品に

旧制松本高校、信州大の学生寮として、松本市県町キャンパス(現あがたの森公園)にあった思誠寮。そこで使われた太鼓1張りが、あがたの森の旧制高等学校記念館で「松高、信大の歴史を物語る遺品」として保存されることになった。元寮生の有志らがお金を出し合って修繕し9日、記念館へ託した。思誠寮が取り壊されて37年、太鼓は“古巣”に戻ったことになる。

松高から信大寮生と共に

太鼓は胴の長さ約45センチ、膜の直径約35センチ。胴に「昭和十四(1939)年十月吉日贈松本片倉」の文字が彫られている。胴の内部には「支那事変三年諸品統制ノ為メ異常ニ高値ニナリマシタ」との記述が見られるという。当時は、片倉製糸の松本工場が稼働しており、同社が寮へ寄贈した可能性がある。
旧思誠寮は、現在のあがたの森公園東側駐車場にあった。松高開校の翌年、1920(大正9)年に建設、49(昭和24)年に学制改革による信大発足に伴い、信大に引き継がれた。83年、横田に新寮が造られ、旧寮は取り壊された。
解体前に閉寮祭が行われ、寮にあった太鼓2張りのうち、小さい方をOBの一人が持ち帰り、自宅で保管していた。昨年、自身も参加する元寮生有志らの集まり「こまくさ会」の関係者に相談。同会は11月の会合で参加者から寄金を募り、9万円をかけて、伊那市内の工房で破れた皮の張り替えや胴の修理をしてもらった。
記念館の高山峻一学芸員(24)は「旧制松高のころから使われた太鼓が残されていて、ありがたい。実際に使う機会があれば、活用してもらうよう考えたい」。同館は2階の展示室で、思誠寮の復元寮室の一角に展示する意向だ。
こまくさ会の世話役を務める鈴木孝司さん(70、朝日村古見)は「私たちも使った懐かしい太鼓が記念館で保存してもらうことになり、安心した。納まるところへ納まって良かった」と話している。

思誠寮は、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(68年)に登場するなど、バンカラな生活の場だったことが知られる。
太鼓は寮歌「秋高原に」=27(昭和2)年作=で「彼方にものも響きありツォイスの庭の召太鼓」と歌われている。信大時代は毎日3度の食事の合図に鳴らされた。秋の寮祭では、寮生が「触れ太鼓」で市内を練り歩いた。この他、さまざまな行事で使われ、寮生の生活に溶け込んだ道具の一つだった。大きい方は横田の思誠寮で使われている。