【ビジネスの明日】#13 民芸旅館・深志荘社長 中澤伸友さん

松本市大手でまきや石炭を扱う燃料店として1916(大正5)年創業し、銭湯、旅館と業態を替え、92年に同市並柳の現在地に移転、開業した「民芸旅館深志荘」。当時は一面、セロリ畑だったという田園地帯に根を下ろし、四半世紀以上。中澤伸友さんは4代目社長として手腕を発揮する。

難局も「記憶残る味ともてなし」

売り上げの半分は宿泊部門、残りは仕出しや宴会などの飲食部門。新型コロナ禍で「3月から5月の売り上げは前年比9割減」という大打撃を受けた。5月には2週間の休業を余儀なくされたが、元々、仕出しに強く、その間も正社員は休ませずに雇用を確保、市内外の商業施設などでの弁当販売に力を入れた。
ノウハウはあったものの弁当の利益率は低く「正直、やらない方がいいくらい」。それでも「深志荘の名前を忘れられないように」と地道に続けたことで「おいしかったのでまた買いたい」と新規顧客の開拓にもつながった。
旬の食材と手作りにこだわった料理は、慶弔時などの節目に、地元客に使われることが多い。しばらく休止していたランチも再開。名物の「手打ち蕎麦(そば)」や「蕎麦コース」が、いつもより広い空間で食べられるようになった。
新型コロナ感染防止の「新しい生活様式」の定着で、宿泊、飲食のどちらの業態も、以前の水準まで回復するには相当な時間がかかる。未曽有の逆境に「記憶に残る味、おもてなしの心をベースに、より細かい要望に応えていかなければ」と気を引き締める。今後、会食の減少が見込まれる中、今までより長時間の持ち帰りを想定した仕出しやヴィーガン(完全菜食主義)対応の弁当の開発を計画している。
「世界一のまごころ旅館を目指す」がモットー。コロナ以前は、インバウンド需要で、和のテイストを求めるフランスやドイツなど欧州からのお客が多く、自ら「利き酒師」として料理に合う地酒を勧めたり、コミュニケーションに力を入れるなど、現場の最前線に立ってきた。
「家業が嫌で親に反発し、いろいろな経験をしたが、全部つながって今がある。何より接客が楽しい」と現在の心境を語る。
モットーの「まごころ」とは、「手抜きをしない、嘘をつかない。裏表のない気持ちで接客すること」ときっぱり。普遍的なおもてなしの精神と新しい「深志荘スタイル」で、厳しい時代に挑む。

【プロフィル】 なかざわ・のぶとも 松本市生まれ、国士舘大卒。東京都内で調理師の免許を取得。飲食や建設業などを経て1997年から、家業を手伝う。2018年に社長に就任。48歳。同市並柳。