蝶ヶ岳で野営デビュー 小屋泊と違うテント泊の魅力

風や光肌で「生きている」実感

数ミリの薄いテント生地の外側は標高3000メートル級の山の大自然。中にいても吹き付ける風をほぼダイレクトに感じる。テント泊登山の醍醐味(だいごみ)は自然との一体感だ。
新型コロナウイルスの拡大に伴い、「新しい生活様式」は山小屋など山の上にも及ぶ。「密」を避けようと、テント泊を選ぶ人も増えているようだ。
北アルプスをメインに15年前から日帰りや山小屋泊で登山を楽しんできたが、テント泊の登山は、荷物の多さや野営経験の乏しさから踏み切れずにいた。コロナ禍にあるこのタイミングで思い切って挑戦してみよう─。道具をそろえ、先週、思い切って蝶ケ岳(2677メートル)でテント泊デビューした。
期待と不安で過ごした1泊2日。山小屋とはまた違った山登りの魅力を体験できた。

試行錯誤の末に「わが家」が完成

午前6時15分、友人で会社員の阪田菜保子さん(松本市島内)と安曇野市の三股登山口を出発。信州大学伊那ワンダーフォーゲル部で登山経験豊かな阪田さんも、テント泊は20年以上ぶりという。
寝具や調理道具などを入れた重いザックが肩や腰にこたえる。必死で登り、11時に山頂へ到着。蝶ケ岳ヒュッテで受け付けを済ませテントサイトへ。
先着順で約30張が受け入れ可能。設営を始めた11時半ごろは5張あっただけでスペースは十分。どこにするか迷ったが、朝日がよく見える東の端を選んだ。
テントは2人用で、本体にポールを差し込むだけ。岩場なのでなかなかペグが入らず、地面に刺す角度も逆にしてしまうなど試行錯誤の末、高さ約1メートル、広さ約2畳分の「わが家」が完成した。自分たちだけの空間がいとおしい。寒さ対策とクッションになるウレタンマットを敷き、ダウン製の寝袋を出して準備完了だ。
ガスバーナーでインスタントラーメンを煮て昼食。スープの塩分が体に染みる。山は残飯やごみを捨てるのはご法度。具も汁も食べ尽くし、食器はティッシュで拭いた。
午後は山頂周辺でのんびり。「槍穂の展望台」とも呼ばれる蝶ケ岳。槍ケ岳が眼前にそびえ、涸沢、穂高連峰が大迫力で迫る。反対側の「下界」に広がるのは安曇野。数年前に小屋泊で登った時は大雨で何も見えなかっただけに、圧巻の眺望に感激もひとしおだ。
テント場に戻ると、テントが30張ほどに増えていた。一見したところ、利用者の年齢層は20~70代くらい。背もたれのあるいすを持参し景色を眺めながらコーヒーを飲む人も。
何人かに話しかけると「山小屋で働く友人に会いに来たが、県外から来ているので小屋泊は申し訳なくテントで過ごす」「昨年までは小屋泊したがコロナが怖いから初めてテント泊にした」といった答えが返ってきた。
午後5時に夕食。前日に仕込んでおいた鶏肉の塩こうじ漬けをフライパンで焼く。ガスバーナーの火加減が分からず少し焦げてしまったが、外で食べるご飯は格別。いい匂いに周囲の視線が集まり、恥ずかしくなる。

強風に揺れるも仲間いる心強さ

日没とともに霧に覆われ急激に気温が下がり風も出てきた。冬用の肌着やフリース、ダウンのズボンなどを着込み寝袋に入る。深夜になると、強風がテントを強く揺らし、振動が体に伝わってくる。不安になるが仲間がいるので心強い。午前4時半、外に出てみると満天の星と雲海が広がっていた。
暗い中、既にテントを畳んで出発する人も。名古屋市から訪れた女性で、2日間で大天井岳を経て燕岳まで縦走するという。以前は小屋泊だったが周囲のいびきで眠れず、それからテント泊に切り替えた|と話す。「悪天でつらい経験もしたけれど世界がぐんと広がりました」
5時半すぎ、ご来光の神々しさと気温5度の寒さに身が引き締まる。朝食を済ませ、テントを撤収。寝袋のダウンが広がり収納袋に入らず苦労した。7時45分に出発。急勾配に足がつりそうになりながら11時、登山口に着いた。

この半年間、外に出る時間が減り、毎年、参加していたマラソン大会も中止に。風や光を肌で感じたり、体力の限界に挑戦したりすることがなかった。
テント泊は小屋泊の温もりや安心感はないものの、大地、風、星、雲、太陽に身をさらすことで「生きているんだ」と実感できたひとときだった。