2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

地元出身の女流棋士・小林さん 松本を拠点育成に力

一度打った石は動かせないのが囲碁のルール。「碁石の並びにはその人が歩んできた道が表れます」との言葉に重みがある。
県内出身で唯一の囲碁の女流棋士、小林千寿六段(66)。故木谷實九段の門下で、実弟にはかつて棋聖・碁聖のタイトルを獲得し現在は日本棋院理事長を務める小林覚九段らがいる。自身も女流選手権を3回制するなど、トップ棋士として活躍してきた。
厳しい勝負の世界を生き抜いてきた一方、プロになって間もない19歳の頃から海外での普及活動に尽力。パリ日本文化会館に教室を設立するなど、囲碁の魅力を世界に発信する役目も担ってきた。
半世紀近く世界中を飛び回ってきた小林さん。今秋、故郷の松本市に拠点を設けた。後に続く信州出身棋士の育成に力を注ぐ。

「世界」に目を向けた指導を

─松本に拠点を設けた理由は。
「松本駅に着き『まつもと~』というアナウンスを聞くと、ウイルスから何まで、全身が洗い流されるような気分になる。4年ほど前から安曇野で子どもたちに教えているが、世界中の子どもたちに教えてきて、安曇野の子どもたちの特徴が今の日本の中ですごく貴重だと思った。小学校低学年の子どもが、何十年も先の話をする。そういう子どもは都会にはいない」
「東京の教室は親がべったりで、子どもは行儀がいい。でも、小さい子が行儀良くする必要はなく、ちょっと囲碁を打って、飽きたら走り回って、また戻って打つ。この『普通に元気』な子どもが私は好きだ。そういう子どもたちの成長過程を見たくなった」
─ 海外での普及活動を通じて感じたことは。
「これまでに30カ国は訪ねた。そこであらためて感じるのは『日本はいい国』だということ。大陸から離れていたおかげで、独自の食や文化をじっくりと熟す時間を持てた。茶道なんて他の国では考えられない。囲碁も1612年に徳川家康が職業棋士を認めたことで発展した。こうしたいい歴史を持った、いい国に生まれてよかったと思う」
─ 海外で教える時の苦労は。
「囲碁では、どちらの陣地にもならない価値のない場所に打つことを『駄目』という。価値のないことをスイスで『ニュートラル(中立的)』と訳すと、話が混乱する。実力差のある時は弱い人が黒(先手)となるが、(人種問題に敏感な)アメリカでは白が強く黒が弱いと説明するのはタブー。各国に歴史的背景があり、教える上で気を使う」
─囲碁の魅力は。
「チェスにはターゲットがあり、囲碁にはない。それが海外の人にとって東洋的な魅力に映る。囲碁はイエスかノーの間をゆらゆらするゲーム。今でもコンピューターでさえ、一番いい手と一番悪い手がほとんど認識できない。コンピューターは囲碁で人間には勝ったが、囲碁を征服したわけではない」
─海外普及活動の成果は。
「いろんな国に囲碁の種をまいた。20年くらい前から中国、韓国が囲碁で『日本に追い付き、追い越せ』と国を挙げて強化に取り組んできた。その結果、両国では囲碁人口が増え、棋士はいい職業になった。だが、トップになれる人は一握り。それ以外の棋士が『他の国だったら需要がある』と外国に出た時、普及の種が活躍の場をつくった」
─ 将棋界は藤井聡太2冠の活躍もあり、盛り上がっている。囲碁界の現状をどう思う。
「囲碁と将棋はよく比べられる。今は将棋が注目され、囲碁関係者は少し慌てているが、私は慌てる必要はないと思っている。囲碁界がメディアに取り上げられないのは、まず中国と韓国に負けているからではないか」
─今後の活動は。
「厳しい競争社会に身を置いて学んだことは、かけがえのない経験。(囲碁を楽しむ政財界人など)日本を背負っている人たちを身近に見てきたのも大きな財産だ。こうした経験を伝えなければという義務感はある。囲碁を通じて世界を意識できる人間を育てたい」

プロフィル
こばやし・ちず1954年、松本市出身。60年、小学校入学と同時に故木谷實九段に入門。72年、高校2年時に入段(プロ棋士になる)。76年、第22期女流選手権戦で初タイトルを獲得し、以後3連覇。女流鶴聖戦も3回獲得。2006年度の文化庁文化交流使。日本棋院常務理事(10~12年、16~18年)。実弟に小林覚九段、小林健二七段、小林孝之三段。