2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

「松本十二薬師」復活へ 市民有志ら資料集め記録保存

心救われ安らぐ場所もう一度

人々が心の救い、安らぎを求めて各地の寺をお参りする「霊場(札所)巡り」。平安時代から行われたといわれ、現代でも全国各地で人気が高い。県内にも信濃三十三観音などがある。
では「松本十二薬師」をご存知だろうか。松本市内の薬師如来を祭った12の寺や堂(札所)を巡る。昭和初期まで行われていたとされるが、今はほとんど知られていない。
その存在に光を当てよう―と、東昌寺(白板)を中心に市民有志らでつくる「松本十二薬師をめぐる会」(会長・飯島惠道東昌寺住職)が活動を続けている。
来年3月まで各札所を楽しみながら巡るとともに、資料収集を行い、冊子を作り記録に残す計画だ。その先には、本格的な「松本十二薬師巡り」復活の夢を描く。

堂守り続けてきた人々の思いに触れ

「おんころころせんだりまとうぎそわか」
参加者が本尊のお薬師さま(薬師如来)に唱えるご真言(仏の言葉)が、堂内に響く。
10月30日に行われた「松本十二薬師をめぐる会」の7回目の会合。約20人が参加し、里山辺にある湯の原薬師堂(九番札所、以下「札所」略)、下金井薬師堂(十番)を巡った。
下金井薬師堂では、下金井町会から管理を委託されたあすなろ会(高齢者クラブ)の早川洋会長が、薬師如来の由来や、現在の管理状況などを説明。参加者は普段は開いていない堂内で本尊を拝んだり、写真に収めたりした。
同薬師堂は江戸時代には広く人々の崇敬を集め、明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)の難も乗り越えたという。
初回から参加する小澤秀俊さん(65、浅間温泉3)は「廃仏毀釈で大変な時期があった中で、堂を守り続けてきた当時の人たちの思いに触れられた気がする」と話した。

東昌寺で文書発見史実何とか後世に

会長の飯島惠道さん(57)によると、松本十二薬師を掘り起こすきっかけは、2002年から改築に着手した東昌寺(三番)で、十二薬師のご詠歌を記した和とじの文書が見つかったこと。その後、飯島さんが他の寺から十二薬師について話を依頼されたこともあり「十二の札所をはっきりさせ、記録として保存したい」と、昨年夏に「めぐる会」を発足、10月から活動を始めた。
今年に入り新型コロナウイルス感染症の広がりで3~5月は中断。これまでに8カ所の札所を訪ねた。来年2月までに残る4カ所を巡る予定だ。
このうち、9月に訪れた筑摩の三才薬師堂(七番、後に東光庵に名称変更)は、現在は無住。11月19日に訪れる安原十王堂(四番)は、明治初期の廃仏毀釈でなくなっており、「昭和初期の史料に掲載されている『安原地蔵堂』が十王堂と同じなのか、どこにあったのか、はっきりしない」と、めぐる会幹事の横山裕己さん(55)。
同会は当面、各札所に関する資料を収集。その後、制作委員会を組織して冊子作りに着手する考えだ。
飯島さんは「十二薬師は規模の小さいお堂やお寺が多く、中には後継のめどが立たないところもある。かつて人々の信仰を集めた札所がなくなってしまうのは損失。何とか史実を後世に残したい」と話している。

信仰いつから?不明な点多い中

松本十二薬師の信仰がいつから行われたかは、分かっていないが、江戸時代中期に民衆の間に広がったといわれる。めぐる会の資料によると、松本城管理事務所所蔵の樋口家文書に、文久2(1862)年に松本三十三観音札所巡りとともに薬師霊場を参拝した記録が「松本十二薬師如来道知るべ」として残されている。下金井薬師堂では、昭和7(1932)年にご開帳を実施したとの記録がある。

【松本十二薬師をめぐる会】来年3月まで月1回の会合(参拝・視察など)を開く予定。事務局は東昌寺。