2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

松商放送部 「追平隧道」黒川堰土地改良区を取材

番組作り、次代に記録伝える

「追平隧道(おいだいらずいどう)」。松本市波田と山形村竹田の米作りを支えてきた用水路「黒川堰(せき)」を通すために、難所に築かれた「水のトンネル」だ。
今から119年前の1901(明治34)年に貫通した。長さは黒川谷から追平に至る約400メートル。両側から掘り進んだため途中に段差があり、隧道内にはノミの痕も生々しく残っている。水路の底は赤く、アーチ形の石垣には文化財としての価値もありそうだ。
そんな地域の財産を伝えていきたい―と、堰や隧道の保全活動に力を入れる地元の黒川堰土地改良区(上條重幸理事長)の取り組みを、同市の松商学園高校放送部が取材した。部員たちは番組や番組作りの過程を通し、次代に記録と記憶を伝えていく。

地域の子どもに紙芝居を上演し

黒川堰と追平隧道の番組作りに取り組んでいるのは、松商学園高校放送部のドキュメント班ビデオ・メッセージ部門の6人。新聞で黒川堰土地改良区の活動を知り、放送コンテスト向けの題材にしようと、上條重幸理事長(72、上竹田)に連絡を取り取材を始めた。
地形などの問題から水を引くことが難しく、かつてはアワやヒエなどの雑穀しか作ることのできなかった上波多村(現松本市波田)と山形村竹田。黒川堰は両地区の悲願だった米作りのため、有志が鉢盛山から流れる黒川から水を引こうと私財を投げ打ち、難工事に取り組んだ歴史を持つ。
幕末の1860年ころに工事が始まり、明治となった1893年に初めて通水。その後も改修を重ね、開田も進められた。現在は使われていない追平隧道は1971(昭和46)年に水源を梓川に変えるまで、両地区での米作りに貢献してきた。
寺澤かりん班長(16、2年)ら松商放送部の同部門は取材をするうち、黒川堰の話を基にした「与一と米のまんま」という紙芝居があるのを知った。山形村に伝わる民話などを紙芝居にして披露している地元の民話クラブ「灯(あかり)」が作り、一式を持っていた。
寺澤さんらは番組作りの一環で「地域の子どもたちに自分たちの活動を知ってもらえるよう、紙芝居を上演したい」と同クラブに要請。村教育委員会や山形小学校も協力し、10月末、小学6年生の有志7人とその保護者ら約30人を前に、灯から借りた「与一と米のまんま」を披露した。
紙芝居の様子はカメラで撮影、番組の一場面にした。同小では4年生で黒川堰について学び紙芝居も見るが、鈴木更沙さん(12)は「4年生に見た時はよく分からないところもあったけど、改めて見てよく分かった」と話した。

歴史遺産の価値を多くの人に伝え

紙芝居の上演後は、上條さんらの案内で現地へ。ヘルメットをかぶり、隧道の中も実際に歩いて撮影。部員らは、先月初めに上條さんらが取り付けたという案内看板や、水の管理をするために寝泊まりしていたという小屋などを見て撮影した。
コンテスト向けの番組づくりから始まった黒川堰の取材。だが、歴史や実際の様子を知るうちに「番組づくりという一過性の活動で終わらせず、地元の住民などもっと多くの人に堰や隧道の価値を知ってもらいたい」との思いが強まり、隧道を紹介するリーフレットやパンフレット作りにも取り組んだ。
「昔の人たちが大変な苦労をして開田したということを知らない若い世代も多い。隧道も忘れられる寸前だった」と上條さん。「地域の歴史遺産にスポットライトを当て、興味を持って取材してくれて本当にありがたい」と感謝した。