手渡しで野菜届ける 有機農家の志野さん

顧客の顔 思い浮かべながら

大切に育てた野菜を収穫し顧客に直接届ける火曜日は、有機農家の志野勝英さん(66、辰野町小野)にとって特別な1日だ。
新鮮な野菜を一つずつ信濃毎日新聞の新聞紙で包み、各家庭の好みや要望に合わせたセットにする。前回の中身と全く同じにならないよう気配りも欠かせない。塩尻、松本方面へ車を走らせ、契約先を1軒1軒回り玄関先で手渡しする。野菜の解説や食べ方などを手書きした通信を添えて。
電機メーカーのエンジニアから転身して22年目。無農薬・無化学肥料で60種類以上の野菜を育てる。作った野菜は一般の流通経路には乗せず、すべて個人客に届けている。市場価格に左右されず、いつも同じ値段だ。
消費者の顔が見え、じかに触れ合いながらの野菜作りが一息つくのも、もうすぐだ。

農業と環境 バランス見ながら

「オーガニックファームやじろべえ」は、志野勝英さんが妻の玲子さん(65)と2人で切り盛りする。塩尻市北小野と辰野町小野の「両小野地区」の5カ所に畑があり、耕作面積は計約60アール。標高約800~850メートルの冷涼な地だ。
22年にわたり有機農業に携わってきた志野さん。名刺には「百姓見習い」とある。「22年と聞くと長い年月だが、まだ22回しか経験値がない。何年やっても難しい」と話す。今年は梅雨が長引き、その後の猛暑の影響で虫が大量発生。秋に収穫予定だったブロッコリーとカリフラワーがほぼ全滅してしまった。
「お客さまに野菜を届けられないのが一番辛い」と志野さん。ハクサイなら3品種、ダイコンなら4品種と、同じ野菜でも多品種を育てる。「どれかはうまく育つだろうと思って」と笑う。
とはいえ、野菜が病気で全滅することはめったにない。「生命力のある健康な野菜を作ることができているのかな」と話す顔は少し誇らしげだ。

顧客の希望考え野菜セット作り

農業を始めてから一貫して個人客向けの野菜を作ってきた。顧客は県内外に約50軒。松本、塩尻市内の約20軒には志野さんが直接届ける。
松本市女鳥羽の藤本豊久さん宅は、志野さんと22年の付き合い。「昔は野菜がもっと小ぶりで虫食いの跡もいっぱいあったが、今は大きく、きれい。すごく努力されたんだと思う」と豊久さん(74)。食べ盛りの子ども2人を育てる娘の京子さん(42)も「おいしく、安心して食べられる」と太鼓判を押す。
野菜セットには旬の野菜を中心に毎回10品目前後入っている。志野さん自ら届ける場合の価格は1800円~2400円ほど。中身は家族構成や好み、価格帯の希望などに合わせて変え、配達頻度も毎週、隔週、月1回に対応。セットを作っているとき、顧客の顔が自然と浮かんでくるという。
スーパーにあまり並ばないような、珍しい品目を入れるのがこだわりだ。ロメインレタス、レッドマスタード、オータムポエム、食用ホオズキ…。「新しい味に出合えたら楽しいでしょ」

「安心安全」思い 有機農業の道へ

志野さんは奈良県出身で、信大工学部を卒業しシャープに入社。1990年代に一世を風靡(ふうび)した携帯情報端末「ザウルス」の設計、開発などを手掛けた。
子ども2人がアトピー性皮膚炎だったことがきっかけで、無農薬、無化学肥料の家庭菜園を始めた。「安心、安全なものを食べたいと思って始めたら、面白くなってしまって」と、20年勤めた会社を辞め、三重県内の有機農家で1年間学びながら、農地探しに全国を回った。
当時は今ほど無農薬・無化学肥料農業への理解が進んでおらず、どこへ行っても自治体の担当者から「やめた方がいい」と言われた。だが、辰野町だけが理解を示し、99年、京都から辰野へ移住。農業と環境のバランスを取りながら続けていこうと、農園を「やじろべえ」と名付けた。
会社員時代は大量生産大量消費の最前線に身を置き、深夜残業、休日返上で仕事をさばき続けたという志野さん。休みなく働くのは今も変わらないが、「精神的には、はるかに楽。自分が食べたいものしか作っていないし」と笑う。人間と自然とがしっかり結び付いているのが農業。「その中で生きているからかなあ」とつぶやき、畑へ戻っていった。
やじろべえ℡0266・46・3741