マヤ文明伝える拓本 デジタルで保存へ

石像美術研究家 平川明さん

複雑な絵のような神聖文字、動物と人間の属性を併せ持つ神々の姿…。紀元前1000年ごろから中米で栄えたマヤ文明を今に伝える石の造形。現地を回り、それらを拓本してきた。
松本市里山辺の石像美術研究家、平川明さん(87)。1960年代から中南米の遺跡を訪ね、古代の人々が残したメッセージを石から紙へ転写し、新たな媒体に記録する作業を続けてきた。
300点を超えるその貴重な資料の約半数を、今度はデジタルデータ(写真)で残すことになった。資料のうち、大きなものは幅約4メートル。撮影には広い空間が必要だ。その作業場となるのが信毎メディアガーデン(中央2)。拓本は撮影に合わせて12月2~5日午前10時~午後5時に公開する。

貴重な資料 芸術としても魅力

「これは、真っ暗な神殿の中を裸電球一つをともしながら歩いて取った拓本。この石ふたの下に王墓があったんだ」。倉庫に広げた拓本を前に平川明さんが話す。
拓本は30センチほどの戦士や動物などの断片から2メートルを超える王座像までさまざま。神殿の入り口の装飾やジャングルの中に残された巨石などで採取した。時には現地にたどり着くまでに、飛行機、船、馬を乗り継ぎ、徒歩と合わせて1週間かけたこともあったという。
「放血儀礼」による人身供犠が行われたマヤ文明。拓本を取る際には、王族たちが自らの血を流して神々にささげた痕跡も目にした。

拓本への情熱で単身メキシコへ

松本市出身。愛知大学文学部を卒業し、電機メーカーに就職。25歳で会社を辞めて松本に戻った。英語が得意だったことから、拓本や表具の研究をしに来たアメリカ人教授の通訳をボランティアで引き受け、拓本に興味を持った。
山形村の道祖神や良寛の書など各地で拓本を集めた平川さん。当時、芸術雑誌が拓本の特集をするなど世の中は拓本の価値に注目。平川さんは都内の百貨店などで展覧会を開催するなど拓本家として活躍した。
マヤ文明に興味を持ったのは30歳の頃。雑誌で、画家の利根山光人(とねやまこうじん、1921~94年)がマヤ遺跡で拓本を取っていることを知ったのがきっかけ。拓本家として「現地に行って採集したい」との思いがこみ上げた。平川さんの情熱をくみ取った篤志家が資金面で協力。単身でメキシコに向かった。
帰国後、「マヤ文明拓本展」を神奈川県立近代美術館で開催。熱意と実績を文化庁から認められ、その後の渡航では、文化財保護のため現地政府による厳しい制限がある拓本採取を専門学者などの口添えも得て特別に許可されたという。
専門家の研究とは別に、芸術としてマヤ文明の遺跡や遺物を見る平川さん。拓本に写し取られた構図の一つ一つに「メソポタミア、黄河、エジプトなどの芸術とは全く異なる個性的な力にあふれている」と魅力を語る。
だが、地球の気象変動はマヤの巨石にも影響を及ぼしている。平川さんによると、酸性雨の影響で石が溶け、文様が消えてきた。このため、半世紀前に平川さんが取った拓本は資料としてますます貴重になっている。

ここ20年ほどは発表の機会を持たずにいた平川さん。今回、松本市内の古書店主らが協力し、信毎メディアガーデンの1階ホールで拓本を展示しながらデジタルカメラで撮影することに。関係者らが24日、平川さん宅の倉庫で梱包作業をした。
久しぶりに表に出した拓本。「長い間、眠らせてしまった。貴重なものなので多くの人に見てもらいたい」と平川さん。「いつかは拓本資料館を建設したい」との夢が、またむくむくと湧き上がってきた。