MTB小林あか里選手 パリ五輪を目指し力強くペダル踏む

コロナ、急病…挫折乗り越え母の背追う

「年齢的にも本当の大人になる年に、自転車選手としてもいいスタートが切れそう」
自転車のMTB(マウンテンバイク)クロスカントリー競技で2024年パリ五輪を目指す信州大学1年で、現在はスイス在住の小林あか里さん(19、安曇野市穂高)は明るい笑顔を見せた。
21世紀の幕が開けた2001年生まれ。昨年、競技の年齢別カテゴリーがジュニアからU-23(23歳以下)に上がり「選手として大人になるチャンスだった」。だが、単身海外暮らしの厳しい環境にコロナ禍も加わり、肉体的、精神的に挫折を味わった。そこに光明をもたらしたのは家族や仲間との絆だった。
「今、自転車に乗るのが楽しい」。大目標が控える3年後を見据えて、力強くペダルをこぐ。

12月の大会で手応え

昨年12月5、6日、千葉市で開かれたMTBクロスカントリー競技の「第33回全日本選手権大会」。小林あか里さんは、2020年最後の大会と位置づけて臨んだ。初日のスプリント力を競う「エリミネーター」は2位。2日目の通常のクロスカントリーより短い距離で競う「ショートトラック」では優勝を果たし、1年を締めくくった。
同じ競技でアトランタ五輪の代表になった母の可奈子さん(50)は、会場で娘を見守り「結果よりも、あか里がスタートラインに立てるまで、気力が戻ったことがうれしい」としみじみ話した。
小林さんにとって、昨年は激動の1年だった。信大経法学部応用経済学科への進学を控えた2月、タイで開かれたアジア選手権で8位、スペインで開かれた国際大会のU-23クラスで10位に。「今年はいけそう」と手応えをつかんでいた。
小林さんは松本蟻ケ崎高3年時から、練習拠点を国際自転車競技連合の直轄施設「ワールド・サイクリング・センター」のあるスイスに移し、単身、武者修行をしている。
3月半ば、スイスでも新型コロナウイルスが猛威をふるい始め、大会はほとんど中止に。外で練習をしていると、警官に呼び止められるようにもなり、歯車が狂い始めた。
いったん、帰国した日本でも満足な練習ができず、7月に再びスイスへ。8月にレースに出場したが「全く走れない」。この時点では「練習不足が原因」と思い込み、10月に迫ったW杯を見据え、トレーニングの強度を上げた。
10月にはチェコでW杯が中1日で2戦行われるという異例の日程が組まれていた。その時、帯同していた可奈子さんが「明らかに体調が悪そうだった」と不安を抱く中、1戦目は何とか完走。しかし、2戦目。スタートして間もなく「突然、強烈な頭痛がし、脱力感に襲われた」。自転車を降り、その場でうずくまった。すぐに救急車で病院に運ばれた。
診断の結果は「低血糖症」。医師からは「あと10分走っていたら、命が危なかった」と言われ、6週間の休養を告げられた。
小林さんは「とにかく自分の体調管理ができていなかった。(競技者として)太るのが嫌で炭水化物をほとんど食べていなかった」と当時を振り返る。

故郷の信州に気力もらった

日本に戻ってリハビリを開始。最初は自分の体を顧みなかったことや、周囲に迷惑を掛けたことなどを悔いてなかなか立ち直れなかった。
転機は11月28、29日に飯山市で開かれたシクロクロスの全日本選手権で訪れた。この競技に初挑戦した小林さんは、初めて「信州大学」のロゴが入ったジャージーを着て出場。会場には信大自転車競技部の先輩らが応援に駆け付け、何より「自転車選手の姉」とは、少し距離を置いていた妹のはる香さん(16)が初めて姉のレースを観戦した。
「こんなにたくさんの人が私を応援してくれているんだ」。そう思った瞬間、ペダルをこぐ足が軽くなり、約2年間の海外生活で蓄積した精神的ストレスも吹き飛んだ。

小林さんは2月にスイスへ戻り、4月から始まるシーズンに備える。「早くスイスに行って、すぐにでもレースがしたい。こんな気持ちは初めて」。飯山での競技、信大の仲間や家族の応援…。生まれ育った信州から気力をもらった。「気持ちに迷いがない。自分を信じられる」と自信も付いた。母の背中を追い、3年後の五輪で母と同じ景色を見るためのレースが始まった。