金沢の花街で芸を磨く

旧四賀村出身 金沢大卒 異色の経歴

信濃国で生まれた女性が、加賀国の花街で、凜(りん)とした花を咲かせている。
江戸時代、「加賀百万石」ともいわれた加賀藩の中心地、金沢市には、当時からの伝統芸能を受け継ぐ3つの茶屋街がある。
その中の一つ「ひがし茶屋街」は、今でも木虫籠(きむすこ)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、金沢でも人気の観光スポットだ。
ひがし茶屋街のお茶屋「八の福(はのふく)」で芸妓(げいこ)をしている佳丸(よしまる)さん(29)は旧四賀村(現松本市四賀地区)の出身。金沢大学卒業という異色の経歴を持つ。
この世界に飛び込んで今年で丸6年を迎える。「人前で、稽古で身に付けた芸を披露するのが何よりの魅力です」と語る姿は芸妓の気品にあふれていた。

一見さんお断りお茶屋「八の福」

芸妓(げいこ)の佳丸(本名=松浦志乃)さんが所属するお茶屋「八の福」は、ひがし茶屋街のメインストリート沿いにある。
軒灯(けんとう)の明かりが往時の雰囲気を醸し出す。「一見さんお断り」の八の福の玄関扉を恐る恐る開けた。「いらっしゃいませ」。佳丸さんが膝をついて出迎えてくれた。
淡い黄色の和服姿で、髪形は全体をきちんとまとめてアップにした「洋髪」。白塗りの化粧は施していない。この日は午後8時ごろから仕事場である「お座敷」が控えているという佳丸さん。芸妓の一般的なイメージにある、「島田髪」と呼ばれる日本髪のかつらや、白塗りの化粧などは、正月など特別なときの衣装で、普段の仕事では、ほとんどしないという。
芸妓の1日の日課は午前8時ごろ起床。10時ごろから正午まで、踊りや三味線など複数の芸の稽古。午後1、2時に昼食。4時に髪をセットしたり、化粧をしたりするなど支度を開始。夜遅くまで続くお座敷を考慮し、早めの夕食を済ませる。着物に着替え、お座敷へ。終わるのは日によって異なるが、だいたい午前0時近く。就寝するのは午前2時ごろという。
佳丸さんは「着物は戦闘服。着替えるときが一番、気合が入ります。日によって着崩れしたり、しなかったりで、着付けはまだまだ難しいです」と苦笑いする。

アルバイト先で声を掛けられて

松本県ケ丘高校から金沢大人間社会学域人文学類に進み、「一般的」な女子大生ライフを送っていた。就職活動をしていた大学3年の冬ごろ。アルバイトをしていた酒卸店の社長から「芸妓をやってみないか」と声を掛けられた。
アルバイト業務は、その店のネットショップのページ製作などが主だったが、酒のイベントなどでの人付き合いの良さや、何より「酒好き」だったことを「見抜かれていた」(佳丸さん)。
当時、漠然と「広告関係の仕事がしたい」と思い、就職活動をしていたが、思うようにいかずに悩んでいた時期で、「中途半端な気持ちではなかったが、一度(芸妓を)やってみて、駄目だったらそのとき考えればいい」と社長の誘いに「はい」と答えた。
そこで社長から紹介されたのが、八の福のおかみで、現役の芸妓でもある福太郎さん。在学中から八の福でアルバイトを始め、卒業後に正式に入店。約半年間、踊りや太鼓などを習う「仕込み」と呼ばれる修業期間を経て、2015年7月に芸妓「佳丸」としてお披露目された。
芸妓になることを決意した当時を佳丸さんは「父は『自分の選んだ道』と背中を押してくれたが、母は花街には『身売り』という間違った怖いイメージを持っていたらしく、心配していた」と振り返る。
芸名に「丸」の字を入れたかった。同じ松本市出身で昭和期、東京浅草の花街で名をはせ、90歳近くまで現役を貫いた故市丸さんを尊敬しているからだ。
「芸事に熱心で、驚くほど上達した。10、20年後の『ひがし』を引っ張る芸妓になってほしい」と福太郎さん。佳丸さんは「『佳丸のあの芸が見たい』と言われる芸妓になりたい。体が続く限り芸を究める」と覚悟を決めている。
記者が帰り際、松本への思いを聞くと「北アルプスのあの眺めは、今になって素晴らしいと思う」。望郷の念を口にした。