美を追究し半世紀 藍の型染め工房3代目・浜完治さん

藍甕(あいがめ)が並ぶ作業場。その一つ一つに浮かぶ「藍の華」と言われる気泡は、染料の藍が発酵し染められるようになったのを示すサインだ。中に生地を入れて取り出すと、最初は黄土色、そして緑色、水色へと変化していく。
その色が普段着や手拭いなど日本人の暮らしに溶け込んでいることから、明治時代に来日した外国人が「ジャパン・ブルー」と呼んだ「藍」。色の濃淡を含め50色近くあるとされるほど奥深い色だ。
松本市本庄2の浜染工房の3代目、浜完治さん(71)は、染めの技法で特に難しい「藍の型染め」の技術を持つ職人。日本でも数人ほどしかおらず、3代続く藍の型染め工房は県内唯一という。
「この仕事で完璧を目指すには、1回の人生では足りない」と浜さん。半世紀を経て美を追究する工房を訪ねた。

松本市の薄川にかかる「逢初(あいそめ)橋」。藍染めや草木染が盛んな土地だったことに由来する名前という。浜染工房は明治時代にこの場所(現在の庄内2)で創業。3代目の浜完治さんが、当時のままの技術を継承している。
工房の庭に染め上がった反物が干してあった。青と白のコントラストが美しい模様、藍の濃淡の中に模様が浮き出たデザイン-。1反約12メートル、にじみのない美しい線はすべてが手作業だ。「ほんの少しの失敗も、お天道様の下で見るとすぐ分かる。真剣勝負です」と浜さん。
一連の作業は、数ミリの模様を自ら彫って型紙を作ることから始まる。代々伝わっていたり新たに作ったりしたデザインは約2000種類に上る。その型紙を白い生地に当て、その上から防染(ぼせん)のりをへらで置いていく。型紙をいったん外して端に当て、のり置きを繰り返す。
のりは藍の型染めの仕上がりを左右する。「『のり置き8年、型置き3年』と言われるほど鍛錬が必要な技術です」と浜さん。もち米などを練り、その日の気候や型の大きさなどに合わせたのりが作れ、1反を平らにまっすぐ置けるようになったら一人前という。
反物は、30センチの屏風(びょうぶ)畳みにして藍甕に入れる。出して広げて乾かし、再度、畳んで藍甕へ。途中でのりがすれると染めた際ににじみが出てしまうため細心の注意を払う。美しく染めるため、大豆を搾った豆汁(ごじる)を塗るなど、幾つもの作業がある。

高校卒業後、父・岸治さんの下で染めを習った。昼間は染めを手伝い、夜はのり置きの練習。午後8時から午前3時までの練習を15年間続けた。岸治さんが亡くなり、38歳で工房を継いだ。以来、妻の博子さん(64)と共に家業を守る。
藍は生き物だ。藍草を腐葉土状にした「すくも」を仕入れ、灰汁(あく)などを足して発酵させる。気温が下がる冬場は発酵が止まらないよう、午前2時に起きて藍甕を温めるための炭を足す。365日世話を欠かさず「長男が海外で結婚式をした時も夫婦で欠席しました」と苦笑いする。
表はキキョウ、裏はツバメの模様に染められた反物が目に留まった。「長板中形(ながいたちゅうがた)」という生地の表と裏の両面を染めた反物だ。江戸時代、質素倹約で藍一色の着物しか許されなかった町民が、裏模様でおしゃれを楽しんだとされる。作業が複雑で現在、手掛ける職人はほとんどいないという。
着物が中心だった藍の型染めだが、最近はアロハシャツなど洋服に仕立てる人も。浜さん自身、最初は驚いたが「軽くて着心地がいい、と喜ばれました。時代は変わっていますね」と話す。
県工芸美術展大賞(2009年)受賞など藍の創造美が評価されてきた。「新しいものがいいと思われがちですが、昔ながらの伝統を守る人がいてもいい。大変だったが、やってきて良かった」と浜さん。その背中を見て育った長男の怜史さん(34)が、コロナ禍が落ちついたら県外から家族で松本に戻り、浜さんと共に仕事をしていくことを決めたという。
怜史さんが始めた同工房のフェイスブックで、新たな販路も広がりつつある。「うれしさと心配の両方の気持ち。若い感覚をこれからの時代に生かしてほしい」と浜さん。次世代がどのような藍の華を咲かせていくか、期待を寄せている。
浜染工房 ℡0263・26・3945