やぶはら高原スキー場 昔の写真や資料続々

100年振り返り 未来のヒントに

木祖村の「やぶはら高原スキー場」は、2030年に「開業100年」を迎える。木曽地方で最も歴史が長いスキー場だ。
「これから10年かけてスキー場の100歳をお祝いしていこう」と考えた村観光協会が1月下旬、村民にスキー場にまつわる資料提供を呼び掛けた。すると、同スキー場が発足した当時の案内パンフレットなど、各家庭に眠る昔の写真や資料が続々と観光協会に寄せられた。
「やぶはら高原スキー場が村民の人生に深く関わっていることを再認識できた」。予想以上の反響に、同協会の圃中(はたなか)登志彦専務理事(60)は喜ぶ。協会は早速、開業100年に関連するイベントの第1弾として今月中に写真展の開催を決定。急ピッチで準備を進めている。

村民有志らが昭和6年開設

やぶはら高原スキー場は、木祖村民有志が役場や議員、国鉄などを巻き込んで1931(昭和6)年9月に組織した「木祖村郷土会」が、コース上の障害木を伐採したり休憩所を建てたりして、同年12月に開設した。
当時は昭和恐慌が村の養蚕業などを直撃、村は困窮していた。そんな中で誕生したスキー場は、村民が新たな収入源への期待を込めて考え出した地域振興産業だった。
当時のゲレンデは、標高が一番低い現在の丸山ゲレンデ部分しかなかった。だが、レジャーが限られていたこともあって多くのスキーヤーが押し寄せ、村史によると中央本線薮原駅のスキー客降車人数は31─32年シーズンは約2800人、36─37年シーズンは約1万人あった。
太平洋戦争の影響で42─43年シーズンからスキー客は激減。44─45年シーズンは薮原駅で下りるスキー客は280人にとどまった。
52─53年シーズンには全長400メートルのスキーリフトを設置し、58年度にはティーバーリフトや雪上エスカレーターを造るなど設備を近代化。丸山ゲレンデ上部にさつきゲレンデを設け、「千五百平」も開発するなど拡張を進め、90年代半ばのピーク時には年間利用客が20万人に迫った。
近年の来場者はおおむね5万~6万人で推移。昨季は雪不足、今季はコロナ禍などで苦境に立たされている。
子どもの頃から同スキー場を愛用する木祖村観光協会の圃中登志彦さん。「シーズン終了時には客とスキー場関係者が涙ながらに別れを惜しむような、アットホームな雰囲気があった」と振り返る。
2030年に迎える開業100年。圃中さんは「写真や資料を通じて1世紀近く続いてきた要因を解きほぐすことでスキー場や村の未来を探るヒントが見えてくるのでは」と期待を込める。

資料提供は村外にも呼び掛けている。木祖村観光協会℡0264・36・2543(月曜定休)