【像えとせとら】平田駅前広場 明日へ(松本市平田東2)

土地の歴史表現“多芸”な時計台

JR平田駅東口の駅前広場に立つ、かかしをかたどった高さ約4メートルの時計塔。ステンレス製のかかしの輝きが目にまぶしい。両手に稲穂とおぼしきものを持ち、頭にはちょこんとトンボが。
住民待望の新駅ができるのを見越し、構想から15年かけて平田土地区画整理組合などが周辺を整備。一面の水田は宅地や商業地に生まれ変わった。時計塔は2007年3月の駅の開業を記念し、組合が建てて市に寄贈した。
当時の芳川平田町会長で、組合の副理事長も務めた岩原坴男さん(85)は「駅前なので、皆に見てもらえる実用的な時計塔にした。この土地の象徴となるものにしたいと、知恵を絞った」と振り返る。
塔には「平田里(ぴったり)の郷ころんでもころんでも立ち上がる苦難に勝利のヤジロベーかな」と刻まれている。「平田里」は平田の古い呼び名。かつて一帯は水の便が悪く、遠く塩尻市洗馬から水路を引いたという。そうした歴史も後世に伝えたいとの思いから、塔のタイトルは「明日へ」。
よく見ると、かかしは表裏で顔が違うことに気が付く。一方は笑顔、一方は口をへの字に結び、風によって緩やかに向きを変える。午前8時と正午に「故(ふる)郷(さと)」、午後5時に「赤とんぼ」の曲を奏でる“多芸”ぶり。駅の乗降客や駅舎を通学路として利用する児童らを、今日も見守っている。