松本市の画家・中村石浄さん集大成の画集

北アルプスの険しい山稜(りょう)、懐かしい山里、大相撲の御嶽海関やバドミントンの奥原希望選手、ミャンマーの仏塔群…。題材は幅広く、油彩、水彩、墨彩など制作の手法も多彩だ。
松本市岡田下岡田の画家中村石浄(本名・次郎)さん(83)が、美術学校時代から最近まで60年余にわたる作品128点を集めた「中村石浄画集」を自費出版した。
中信地域の中学校などで美術を教えながら、生活や地域、風土に根差した絵を描き続けてきた。丑(うし)年生まれで、画集は7回目の年男を迎える節目に合わせた「集大成」だ。
とはいえ、これはまだ一つの通過点。「自分の世界、井戸を掘っていきたい。出てくる水は苦くてもいい」。そんな思いを口にしつつ、新たな制作活動に情熱を燃やしている。

尽きぬ情熱“自分の世界”追求

地域の画家として子や文化育みたい

バレーボールの一場面を描いた80号の油絵がある。タイトルは「青春群像」。中村石浄さんが1971(昭和46)年に描いた。清水中学校(松本市清水2)北校舎に飾られている。出版した「画集」の表紙に採用した。
収録作品は2018年に朝日美術館(朝日村)で開いた石浄さんの絵画展の出品作を中心に構成した。剣道、陸上、柔道など学校現場のスポーツの題材が目につく。北アルプスや地元岡田から望む鉢伏山、「松本ぼんぼん」「あめ市」といった伝統行事もある。
多くの作品が清水中のほか塩尻市の広陵中、松本市の女鳥羽中、松本県ケ丘高など学校や施設に収蔵されている。県総合教育センター(塩尻市片丘)の「燕岳への道」(墨彩画、96年)は、中学校の登山学習の資料として活用された。
「地域で生きていくには何をしたらいいか。文化度を高める仕事をしなければと考えてきた」。地域を基盤に、画家という世界と、子どもらや文化を「育てる」という教育の両立を図る石浄さんの思いがにじむ。

「絵を続けてね」恩師の言葉に…

石浄さんが絵画の道に進んだのは、学校の先生の影響が大きい。小学校6年の担任の女性教師はお別れの際、「絵を続けてね」との言葉を残した。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大、以下美校)へ入学が決まった時は、中学時代の恩師がパレットを贈ってくれた。
美校の生活は昭和30年代初めの2年間。講師には棟方志功や岡本太郎もいた。洋画家で美校の教授だった横地康国さんから「造形理論」を学んだ。自身の作風は「横地先生の影響が大きい」と話す。
次男だが、家を継ぐため郷里の松本へ戻った。中学校や高校で50年ほど美術教師を務め、退職後も地域の文化活動に関わりながら、絵を描き続けてきた。

「母よありがとう」感謝の一言添えて

作品は油彩を中心にアクリル、水彩、墨彩画…と多彩。中にはメディウム版画の技法を生かした作品もある。「表現する題材に合った画材を使えばいい」。最近は、和紙に詩と絵を組み合わせたものも描いている。
石浄さんが美校へ進んだ頃は「詩を作るより田をつくれ」といわれた時代。両親、とりわけ母喜美恵さんには苦労をかけたという。画集の作品の最後は、喜美恵さんが目を落とす前夜のスケッチ。「母よありがとう」の題を付けた。
「一山行き尽くせば一山青し」。越えても越えても山また山の連続…唐代の詩人の詩の一節で、この言葉が好きだ。絵に向かう自らに言い聞かせている。

【プロフィル】
なかむら・せきじょう 1937年、岡田村(現松本市)生まれ。松本県ケ丘高卒後、武蔵野美術学校で学ぶ。60年、独立美術展に入選。2000年、松本市芸術文化功労表彰を受けた。現在、同市芸術文化祭実行委員会副会長などを務める。写実画壇会員、信州美術会会員、中信美術会委員。
「画集」は230×185ミリの大きさで122ページ。500部印刷。3300円。