北小野出身の俳人矢彦雨路 作品や生涯後世に

幕末から大正にかけて波乱の生涯を送った俳人、矢彦雨路(うろ)(本名・知充、1832~1920年)の出身地・塩尻市北小野で、雨路の没後100年を経て作品や生涯を後世に伝えようという活動が盛んになっている。
雨路を長年研究しているフリーライター辰野利彦さん(77)は、雨路の子孫の故・矢彦富三さん宅や近隣の旧家を訪ね、保管されていた短冊や色紙を収集して約800句をまとめた。
「雨路の魅力は、生涯をかけて俳人小林一茶の後を追い、一茶を顕彰し続けた、そのひたむきさにある」と辰野さん。
また、会社経営の平谷茂政さん(77)は、勝弦地区にある雨路の句碑「陽炎(かげろう)や鬢盥石(びんだらいし)に萌(もゆ)る影」の拓本を取り、勝弦公民館に寄贈した。石碑が風化し、文字が読みにくくなっているという。
辰野さんによると、雨路は19歳のころ江戸に出て儒学などを学び、その後上洛して戊辰( ぼしん)戦争に参加。戦後、新政府の役人になり、1872(明治5)年ころに俳句を始めた。退官後は霊泉寺温泉(上田市)に住み、仮住まいを「一茶庵」と称して句を詠んだが、1905(同38)年に大火に遭い、故郷に戻った。
北小野地区には、雨路が初代会長を務めた郷土史研究会「憑(たのめ)史談会」が建てた句碑が5基あり、代表作とされる「あれのをの直路(ちょくろ)や蕗(ふき)の阿礼街道」「御柱の注連懸(しめかけ)原や雪残る」などが自筆で刻まれている。