「結果はシビアだが達成感」 東京五輪最後に引退 MTB山本幸平さん

自転車マウンテンバイク(MTB)で、夏季オリンピックに4大会連続で出場した松本市里山辺在住の山本幸平さん(36、DreamSeekerRacingTeam=ドリーム・シーカー・レーシング・チーム)が、東京五輪のレース(7月26日、静岡県)を最後に現役を引退した。
競技生活26年。集大成として臨んだ東京五輪は29位。「アスリートとしての結果はシビアだが、達成感はある」と、すがすがしい表情を見せた。
長年、国内のトップを走り続け、北京五輪が開かれた2008年以降は、プロ選手として世界を相手に戦い、日本のMTB界をけん引してきた。
「MTBの楽しさを多くの人に知ってもらいたい」との思いでペダルをこぎ続けた“レジェンド”に、今の心境や今後の夢などを聞いた。

松本のチームで世界目指す

─東京五輪が終わった。心境は。
「この五輪に向け、やれることはやった。納得してスタート地点にも立てた。レースも最後まで集中力が切れなかった。ゴール後も自然と笑みがこぼれた。『自分自身に勝つ』という当初の目標は、達成できたと思う」
─29位という順位はどう受け止める。
「アスリートとして8位以上を目指してやってきたので、シビアな結果だ。課題はまだまだあり、見えてもいるが、これで引退なので、自分がそれに取り組む必要はない。若い世代に感じたことを伝えていきたい」
─東京五輪が1年延期された影響は。
「プラスが大きかったと捉えている。この間に次女の桃花も生まれ、長女の凛夏も成長して五輪の記憶が残りやすくなった。また、延期されたことでMTBの取材が増え、魅力を発信できた。マイナスを見ればきりがないが、一番はヨーロッパでレースができなかったことだ」

五輪4大会出場 できると思わず

─これまで出場した五輪を一言で表すと。
「(最初の)北京は出ただけ。ロンドンは本気で勝負した。リオはいい意味でリラックスし、経験が生きた。東京は集大成だ。競技者になって五輪に4大会出場できるとは思わなかったし、今でも信じられない」
─「国内無敵」の環境に長くいたことをどう思う。
「リオの後は若手を育てなければと思い、自分のチームを立ち上げ、北林力(21、白馬村出身)を後継者として一緒にやっている。それまではワールドカップ(W杯)で勝つという目標があったので、世界を見ていて、あまり日本を見ることはなかった」
─五輪、W杯の表彰台に届かなかった。世界との差とは。
「それが分かっていたら表彰台に立てた。そこを目指して、求めて求めてやってきたが、パズルの最後のピースが埋まらなかった。スイスに住んでいた2012~14年は一番成績が出ていて、W杯で1桁順位が見えていた」
「そう考えると、世界の強豪と同じ場所に暮らし、同じ行動を取れるかだと思う。いかに世界レベルの関係者が周りにいる環境に身を置くかだ」
─今後は。
「世界を目指すプロチームをつくるのが夢だ。これまでは世界を知って、戦ってきた人がいなかった。でも今は、そうした経験をした山本幸平がここにいる。そして東京五輪が開かれ、世界最先端のコースが静岡県伊豆市にある。来年はそこで国際レースが開催される。日本にいてもある程度、準備ができる環境になったのでは」
「あとは地元と連携して乗れる環境を整備し、世界を目指すプロチームが松本にあるということを地域全体で応援してほしい」