【小林千寿・碁縁旅人】#11 1974年のソ連の囲碁界

モスクワでソ連の代表と碁を打つ筆者

世界の三大珍味「キャビア」

長野県の秋は早いですね。8月末からトンボが飛び始め、コスモスが気持ちの良い風に揺らぎ、リンゴの実が日ごと大きくなり色付いてきました。
今回は囲碁指導で訪ねたロシアでの「キャビア」の話を。1974年8月、鉄のカーテンに覆われた共産国・旧ソ連に日本から初めて囲碁のプロ棋士が訪問、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で10日間指導しました。それが本田幸子先生(当時三段)と私(同二段)です。女性2人では心細いだろうと、毎日新聞社のロシア語が堪能な井口昭夫氏も同行。世界が東西に分裂している時代でしたから財界の錚々(そうそう)たる方々からも「ソ連に入ったらホテルの部屋でも絶対にソ連の悪口などは言わないこと。盗聴されていると思って行動しなさい」と厳しくアドバイスを受け緊張しました。
しかし、碁を打てば言葉が通じなくても心が通じるのが囲碁。当時のトッププレーヤーたち(日本のアマ五段相当)と毎日顔を合わせているうちに打ち解けていきました。
そして共産国でゲームはマインドスポーツに属し、体育協会から夕食の招待を毎晩のように受けました。でも、その夕食は冷たい物ばかり。魚の薫製、キャビア、そこに添えられた生野菜。
ロシアの囲碁協会の面々は私たちに、黒パンにバターを分厚く塗って、その上に真っ黒になるまでキャビアを載せて「食べてください」と。彼らは、キュウリ、トマトを食べるばかり。1枚のパンを食べ終えると、すぐに次のキャビアが。高価なキャビアでおなかがいっぱいになる夜が3晩も続くと、さすがに他の物が食べたくなり、野菜に手を出そうとすると「ニエット!(だめですよ!)」と。理由を聞くと彼らにとって生野菜は手に入れ難く、キャビアより貴重な食物だったのです。
私は、その時に一生分のキャビアを食べてしまったのでしょう。また食べたいと思えないのです。(日本棋院・棋士六段、松本市出身)