音作りからそば作りへ 「王滝」の高砂さん

おいしさと安さの両立を

「そばバカ」。同僚からそう呼ばれ、社外にもそのように紹介される。
高砂(たかすな)圭司さん(54)。飲食チェーンの「王滝」(松本市笹賀)で、そば店「小木曽製粉所」を立ち上げ、同社の中核事業に育てた。現在、同社専務とそば事業部長の肩書を持つ。
東京住まいだった20年ほど前、帰省した松本で食べたそばに驚いた。「こんなにおいしいものだったのか」
当時、ベーシストとして有名ミュージシャンと共演、テレビにも出た。だが、自分のバンドは売れなかった。「自分を表現できていない」。もやもやしていた30代半ばに出合ったのが「野麦」(中央2)のそばだった。
奥深さを感じ、音作りからそば作りへ─。自己表現を追い求めた末、安くておいしいそば作りにたどり着いた。

バンドデビュー果たしたものの

松本で育ったが、そばの記憶はない。少年時代の高砂圭司さんは、ベースに情熱を注いだ。
松本蟻ケ崎高校で、それまでなかった軽音楽部を仲間とつくった。「大きい音を出して、人前で弾く」。その魅力に勉強そっちのけ。県内のコンテストではベストベーシストに選ばれた。
卒業後に上京。音楽専門学校に通ううちから、レコーディングに呼ばれた。20歳そこそこで少額ながら稼ぐ身に。有名歌手のバックバンドで弾くようになった。山瀬まみさん、広瀬香美さん…。「夜のヒットスタジオ」といった人気歌番組に出演した。
自分のバンドも率いた。1990年頃の世はバンドブーム。コンテスト番組「いかすバンド天国」(いか天)に出て、メジャーデビューまでは果たせた。
手だれのベース弾きになっていた。フォーク、ヘビーメタル…。求められれば何でも弾いた。だが、自分がやりたい音楽はできていなかった。

「人生」を変えた本物のそばの味

帰省した際、母親と入った「野麦」が、新しい世界の入り口になった。「今まで食べていたのはそばじゃなかった」。同店で修業できると知り、「脱ミュージシャンの将来設計が見えた」。人間関係に疲れ、1人の仕事がしたかった。子どもが小学生になるタイミングで妻子とUターン。37歳のリスタートだった。
「野麦」では1年修業。師匠によく他店に連れて行かれた。そばではなかった。フレンチ、中華…。一流店を巡り、「おいしいものを食べなさい」と言われた。「そばの技術だけではなく、世の中を教えてもらった」
高砂さんはベースとそばは一緒だと思うようになった。「上手にやって、技術をみせつけるようにしても仕方がない」。ベーシスト時代は「独り善がりだった」と振り返る。
松本のそば店「みよ田」を経て王滝入り。目標をおいしさと安さの両立と見定めた。試行錯誤し、技術とともにそば粉の重要さを思い知った。「良いそば粉を安く手に入れたい」。自社製粉を社長に提案した。そして2014年、そばを提供し味わってもらう店「小木曽製粉所」が生まれた。
当初、食事用の店は製粉所の併設施設の位置づけだった。そこにファンが付き、増えていった。チェーン展開が急ピッチで進む。今は、ソバ畑の自社経営を視野に入れる。
「音楽をやめ、そばを選んで本当によかった」。自分のやりたいことを大勢の仲間と目指せる今の環境を幸せに思っている。